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近いうち、なんとか私の勇気をかき集める

就活中、「挑戦できる環境です」「あなたの“やりたい”を応援します」という文言をたくさん見かけた。その言葉を見かけるたび、当時大学生の私は、心踊った。

「挑戦かあ……! なんて素敵な響きなんだろう、社会に何か貢献できそう!」
「“やりたい”を応援……!? やりたいことなんて身体からこぼれるほど出ちゃうよ!」

そうキラキラキラキラした目でその会社を見つめて、調べて、最後には「エントリーはこちらから」のボタンをぽちっとした。


社会人生活がなんとか3年目になった私は今、かつての私に言いたいことがある。

それは、もっと、ちゃんと言葉にしないと! ということ。声を大にして言いたい。

もっと、ちゃんと言葉にしないと!

おーい私、聞こえてる?

私がこれまでいた会社は(運がよかっただけかもしれないけれど)、とても優しかった。やりたいことをやらせてくれるかどうかは別にしても、「何かやりたいことある?」という話を聞いてくれる会社たちだった。

だけど、上司を目の前にしていざ話そうとすると、私の口からでるのは曖昧な言葉ばかりだった。

「やりたいこと……そうですね。やりがいが得られるようなことをしたいです」
「なんていうか、大きな影響を与えられるっていうか……もっと大きなこと、してみたいです」

そう言った私に苦笑いをして、「具体的には?」と聴いてくれたことも、今思えばとても優しかったと思う。でも、当時の私は「えっと……」と口ごもるばかりで、ちゃんと話せた記憶があんまりない。


今ならわかること。

「挑戦できる環境」は、私の“挑戦したいこと”があること、「やりたいことを応援します」は、私の“やりたいこと”があることが大前提だ。それも、具体的な言葉で話せて、伝えられるそれらであること。

「なんか大きいことを」「社会にいい影響を与えられるなにかを」っていうのは最終地点で、そうなるために、じゃあどうやったらそれを叶えられるの? が必要になる。

「予算◯億円のプロジェクトに参加したい」「新作アプリの開発に携わりたい」「連載企画をやりたい」という具合だ。

今書いていて、「そんなの当たり前だよ!」と思えるそのことを、弱冠22歳の私はまったく気付けていなかった。大学生の雰囲気そのまま、自分は何かを成し遂げる大きな人間だと思っていた。そんな自分であってほしい、という願いのような想いをそのまま上司にぶつけていただけだったのだ。


気づけた今、私はちょっと大人に近づけたのかなあ、なんて思っている。

だけど、やっぱりまだまだ、今の私にも問題はある。

今、私がしたいのは「取材して、ライティングしたい」ということ。それに挑戦していい環境ではあるものの、“やりたい”はまだ叶っていない。

というのも、より具体的な「どんな企画で(テーマで)」「いつ」「誰を」が、まだまだ詰まっていないから。よくない。とてもよくない。

でも、それが決まっていない、とわかっているからこそ、今は足りないところを一つずつ詰めていっている。成長。

あと必要なのは、できたそれらを上司に伝える私の勇気。“やりたい”の気持ちを固めて形にしたそれを、伝える作業。


近いうち……そうだな、来週とかまでになんとか頑張りたいと思っている。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。