私の最終兵器的妄想
このまま電車に乗っていたら、私はおばあちゃんの家まで行ける。そう、小さく唱える。
電車に乗っているとき、そう思うと安心する瞬間が私にはある。このまま乗っていたら私は。
実際にはしないけど、ただそうである事実を確認する。
その事実は、隠し持った最終兵器だ。
もし、このまま電車に乗っていたら、終点はおばあちゃんの家の最寄駅。最悪のさいあく、私はこのまま電車に乗っているだけでいい。電車が勝手に、私をおばあちゃんちの最寄り駅まで届けてくれる。
終点に着いたら私はおばあちゃんに電話するだろう。
「今ね、おばあちゃんちの駅にいるよ」
ええー! と言いながら、おばあちゃんはすぐに駅まで迎えに来てくれるはずだ。
そうしたら、畳の匂いが充満するあの家に行ける。醤油と砂糖が煮込まれた匂いを染み付かせたあの家に行ける。お日様の匂いに乾かされた布団がある、あの家に行ける。
そこで私は何も考えずに眠るのだ。自分の脳みそをすっからかんにして、眠りに落ちるのだ。
おばあちゃんちは、天国だ。私が困ったとき、最後の頼りどころ。桃源郷のおばあちゃんち。
でも、だから、まだ行かない。
私は、最寄駅で降りる。ちゃんと降りる。妄想だけ膨らませて、ちゃんと降りる。
おばあちゃんちは、あったかくて、優しくて、甘ったるい。それはまるで沼のように、私をどんどんダメにしてしまうことも知っている。一度はまったら、抜け出すには倍の力がかかることをわかっている。
だから、まだ行かない。
最終兵器は、最終的に使う、使わざるをえない状況に陥ったときに使うから最終兵器なんだ。簡単に使っていいわけじゃない。
広がった妄想は、電車の中でだけ。このnoteの中でだけ。
大きな鼻と耳、歯を出して笑うおばあちゃんを想像してちょっぴり泣きそうになる。舌がおばあちゃんの家の味になる。
だけど、今日も私は自分の家の最寄駅で降りる。
降りたあと、ドアがぷしゅーっと閉まって、ゴトトンゴトトンと電車が遠ざかっていく。
終点に、おばあちゃんちに近づいていく電車。
それを見送ってエスカレーターを降りる。私はまだ、おばあちゃんちには行かない。