「あと一粒」が、空っぽへのカウントダウン
小さめのお菓子を、ちゃんと止められる人は大人だと思う。例えば、グミとかアーモンドチョコレートとかじゃがりことか。
私はというと、まったく止まらない。だめなぐらい止められない。
ジップロックの意味をなしたことはほとんどない。気づくと最後の一粒に手を伸ばしていて、ありゃ? と思う。私そんなに食べたっけ?
もちろん、私の意志が弱いのは重々承知のうえで物申すと、次の一粒が食べたくなる設計になっている素晴らしき食品メーカーのせいにしたい。
まず、彼らのサイズ感。ひと粒が、小粒。レシピ本でよく出てくる「ひとつまみ」の理想の指の形は、きっと彼らをつまんだその形だろう。
それに、小粒だからこそ「ひとつちょうだい〜」と人に言われたときにあげやすい。あげやすすぎるぐらいだ。
次に、量。これはほんとにずるい。まあ、あと一個ぐらい、と思わせる量なのに、気づくとない。盗まれたのか? ほんとに私は腹に入れたのか? 小腹を満たすために彼らを買うけれど、確かに小腹は満たされる。しかし、小腹しか満たされない。小腹の最適解は彼らが導き出していたのだ。
最後に味。アーモンドチョコレートも、グミも、カシュー煮干しも、チーズおかきも、ハイチュウも、じゃがりこも、プチも、ガルボも、プリングルスも、ポイフルも、柿ピーも、美味すぎる。美味すぎるってほんと。
チーズおかきに関しては個包装になってるのに、なんであんなに止まらないんだ。麻薬か?
今日、朝の電車でピュレグミをカバンから出して、一粒だけ食べた女性を見かけた。
彼女は、一粒だけ食べて、ジップロックを閉じカバンに戻した。
大人だ。すごく大人だ。
私なら、その一粒を一駅間で食べ終わり、次の駅に到着したタイミングでもう一粒を頬張るだろう。会社に行く前に買った男梅グミが、会社に着いたときにはペタンとしたゴミになっているのはこの原理だろう。
私はまだただ口寂しいお子様だと思い知らされる。
アーモンドチョコレートに関しては、10分で空箱にできる自信がある。大人への道は、まだまだ遠いようだ。