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「会話」という川の流れを見れるなんて、ちょっとぞくぞくしちゃうよ

少し前に何かで、「音楽アプリのプレイリストを見られると、自分の内側を見られたような気になる」というのを読んだ。

え? そうなの? 私には、この一文がすんなり入ってこなかった。

けれどある日、その話を友達にすると、その子は「わかる! めっちゃわかる!」と全身で共感した。

え? そうなの? 「なんで?」

「だって、プレイリストって、自分で作るじゃん。プレイリスト名を『テンション上がる』とか、『落ち込んだときに聞く』とかってしてさ。で、そこに自分がそう思う音楽をいれるわけだけど、私の場合、『落ち込んだときに聞く』のは、しっとりバラードとかじゃないのよ。テンションをがんがんに底上げしたいから、超ハードなマキシマムザホルモンとかいれてさ。それを見られたら、『え~……こいつ、これを落ち込んだときにきくんだ~……』って、すごくパーソナルなところを見られた気になるわけよ」

私は、それを聞いて「なるほど」と思った。

だけど、私はプレイリストぐらいで、パーソナルなところを見られた気にはあまりならない。

それよりも、買い物のレシートを見られたり、検索履歴を見られたり、何より、テレビの録画番組を見られるほうが、覗かれている気になってしまう。

秘密、とまではいかないけれど、「まだ誰にも言ったことがないな」ということがある。

それは、「僕らの時代」と「グータンヌーボ」を毎週録画していることだ。

「僕らの時代」というのは、フジテレビで、毎週日曜の朝7時から30分だけゲストが3人だけ椅子に座りただ雑談するだけの番組だ。

『ボクらの時代』は、毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくトーク番組。あえて司会者を置かないことにより、ゲストたちの普段の顔・会話が垣間見られるような構成となっている。今週は俳優の小日向文世、角野卓造、松重豊の3人。俳優という仕事について、そして家族、プライベートについてなど、俳優同士だからこそ話せるさまざまなテーマで語り合う。(https://www.fujitv.co.jp/jidai/)

「グータンヌーボ」も割と同じような感じで、俳優さんやタレントさんが女3人、又は、男3人でレストランでトークする番組だ

私はこの2番組(グータンヌーボは悲しいことに終わってしまった……)をずっと毎週録画していた。そしてそれを誰にも言ったことがなかった。

「なんでこの番組が好きなの?」っていう疑問と、「なんで誰にも言わなかったの?」って疑問がすぐに浮かぶだろうから、1つずつ答えようと思う。

まず、「なんでこの番組が好きなの?」には、他人の会話を、合法的に第三者として見れてしまうからだ。

この2番組に共通するのは、決まったトークテーマないこと。加えて「僕らの時代」は、話を回す司会者もいない。どちらも、人が「会話している姿」が放送される。

そこがむちゃくちゃ面白い。

普段意識していない、「会話ってこういうふうに流れていくんだ」とか、「そこからそこに話が飛ぶわけね」とか、「はー! その切り替えしうまいな」とか、そういう、誰が話しているかっていうのよりも「会話」が存在している、それを見れることが面白い。

例えば、居酒屋やレストランで、隣の人の話が聞こえてくる。そしてそれをついつい、目線は向けないけれども大きな耳で聞いてしまった、という経験はないだろうか。
ほんとうに聞かなきゃいけないのは、目の前の人が話していることなのに、それよりもどうしてか、縁も関係も全くない、ただ隣の席にいる人の会話が気になってしまうことってないだろうか。

私はよくある。

もっというと、「ねえねえ、今隣がこういう話してるんだけど」なんていって、目の前の人の話を遮ってまでも話してしまう、会話遮断をしたのは1度や2度じゃない。

もし、自分たちの会話がひと段落して、次の話題が見つからないときは、隣の会話を盗んで、「そういえば」と同じ話題を振ったりする。会話泥棒は私の常套手段だ。

でも、時々言われることがある。

「ねえ、あんまり聞かないほうがいいよ」と。

それは、もうほんとに、その通りだと思う。すべては盗み聞きであり、自分とは全く関係のない話だからだ。それよりもやっぱり大切にしなきゃいけないのは、真摯に目の前の人の話を聞くことだ。

でも、気が付くと、またやってしまっている。
なんなら今度は、「さっきの話からどうやってその会話に飛んだの?」なんてことが気になってしまう。よくない。

だから私は、「僕らの時代」と「グータンヌーボ」が好きなんだ。

普段だったら咎められてしまうような会話の盗み聞き、司会者に縛られない・トークテーマもない、3人という、ほんとうにありそうな絶妙な人数での会話が見れてしまう。

出演している人からすると、すべて本心ではないかもしれない。でも、私が見たいのは本心ではない。会話だ。会話をしている姿だ。

「会話」というのは、川だ。
さらさらと止まることなく、自分の目の前を通り過ぎていく。
自分が話しているときはその流れに乗っているから、自分が今どこにいるのか、これからどこに流れていくのか、それはわからない。

でも、「僕らの時代」「グータンヌーボ」を見ていると、社会科の授業で使った地図帳の川をたどっている気持ちになる。
ここから始まって、ここで曲がって、この川と合流して、こういう経路で海に出るんだ、みたいな感覚。

この人たちは、こうやって会話の川を流れていくんだ、という発見にも似た、水路にわくわくする。

「なんで誰にも言わなかったの?」という答えは、もう言ってしまったような気がするけれど、好きな理由がそれだからだ。合法的な会話ののぞき見、第三者から見れる話の展開。これがこの番組の醍醐味だと私は思っている。


ちなみに私が一番好きだったのは、この東大生が語る会。

とても面白いのでぜひ。

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たなべ
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