「2匹の宇宙人になっちゃうね」、なんてセリフはもう聞けない #かくつなぐめぐる
大学進学を機に一人暮らしをはじめて7年が経つ。
一人暮らしは文字通り「一人」の「暮らし」だから、「一人」が倒れてしまうと「暮らし」がままならなくなってしまう。そしてそういう瞬間は夏の台風のように突然発生して、突然「暮らし」をかき乱す。
例えば、わかりやすいのが体調を崩したとき。私が私を看病するために、熱いんだか寒いんだか体温機能がおかしくなった身体でコンビニに行き、ポカリやゼリー、冷えピタを買う。
買ったあと、たった5分の帰り道が長い。数品のビニール袋が重い。体調悪いだけで、簡単に心がしょぼくれる。
自分で貼る冷えピタは、ひとりぼっちの象徴なのかもしれないなと思う。
それまでお母さんとか、自分の正面にいる第三者が正しい位置に貼ってくれていた冷えピタを、鏡を見ながら自分で貼る。その瞬間、自分はひとりぼっちなんだと思い知らされる。
だから一人暮らしは、体調を崩さないことがいちばんだ。体調管理を制する者は、一人暮らしを制する。
だけどあの年、体調管理よりももっとどうしようもないことが起きた。夏の台風のように突然発生したのは、夏の台風だった。
令和元年、10月に発生したアジア名「ハキビス」という台風を覚えているだろうか。
台風が上陸する前日から当日にかけて、災害連絡網でもあるTwitterは対応策で埋め尽くされた。
「一人暮らしの人は、浴槽に水を貯めてください」「ベランダにシャッターがある人は閉める。ない人は養生テープを窓に貼るといい」
「水、カップ麺、簡易トイレ、3日間は生きれる用意をするべき」
「いいですか! とりあえず備えておいてください! 使わなければ使わないでいいんです! とにかく万全の準備を!」
こんな調子だった。
当時大学3年生だった私はといえば、ベットに寝転がりながらそのTwitterを見ていた。バイトのはずがこの天気を心配して「今日はお休みで大丈夫です」との連絡がきたのだった。
東京上陸は今夜。とはいえ、外ではすでにちょちょちょと雨が降り始めていた。
備え……備えかあ……。めんどくさ。今から養生テープを買って窓に貼る? 浴槽にお湯を溜める? って、私の家はユニットバスなんだから浴槽にお湯を溜めちゃったらお風呂入れなくなっちゃうじゃん……めんどい……。
と、うだうだうだうだ考えていた。そのとき「ラインッ!」と甲高い声がスマホから鳴った。
「今からうち来ないー?」
同じ最寄り駅に住む、サークル仲間からの連絡だった。私と同じように一人暮らしをしている子だ。
「すっげえやばい台風くるらしいから、どうせなら一緒にいよ~」
すっげえやばい台風。
いいな、何もわかってない感じがいいな。それに、どうせなら、の意味が全然わからない。お互い家から出ないようにすればいいのに、一緒にいようってなんだ。
そう思った私はすぐに電話をかけた。
「行く! 今から家行くよ!」
だってめちゃくちゃ楽しそうじゃん、と思っていた。言いはしなかったけど。
「まじで~やった~! あ、じゃあ、途中のスーパーでお菓子とガムテープ? 買ってきてほしい。なんか窓に貼るといいってTwitterに書いてあった」
「私も同じやつ見た。了解、あとで割り勘ね」
「おっけ~」
時刻は気づけば19時になっていた。とりあえず最低限の支度をして家を出る。ひょうひょう、と風独特の声が聞こえた。だけどまだ歩けないほどではない。今夜上陸、の今夜はいつからなんだろう。ボッとビニール傘を開いて、スーパーへ向かった。
ところが。
「げ、まじ?」
スーパーに入って思わず、そう呟いてしまった。
見渡す限り、空の棚が陳列されていた。ニトリの棚コーナーのよう。私が同級生からお願いされたお菓子の棚は何もなかった。いつもなら手が届かない上段にも置いてあるはずの在庫すらなかった。すっからかんだった。
そこではじめて、今回の台風がいかに「緊急事態」なのか感じ取った。お菓子も、飲み物がいっぱいあるはずの冷蔵ケースも、当たり前だけどガムテープも何もない棚を前にして高をくくっていた自分の甘さを目の当たりにした。
緊急事態は、こうして見ることで「緊急事態」という実感に変わるのかもしれない。
周りには同じように、「何もない……」と呟いている人が2、3人いた。みんな、私と同じぐらいの年齢に見えた。何もいれることのできないカゴを持って私たちは立ち尽くした。
「大変、スーパーなにもないんだけど」
たたたたっと友達にLINEを打つと、「じゃあ、コンビニは?」と連絡がきた。確かに、コンビニなら。カゴを元の場所に戻して、最寄りのコンビニに向かう。
しかし案の定、コンビニにも何もなかった。結局私は何も買えないまま、友達の家に着いた。
「ごめん~まじで何もなかった」
「いいよいいよ、とりあえず引っ越しのときに余ったガムテープを窓に貼ってみた」
そう言ってカーテンを開けると、片方の窓にだけ「*」印にガムテープが貼られていた。それはTwitterで流れていた対策方法だった。
「いいじゃんいいじゃん」
「あとね、一応浴槽に水も溜めてみた」
「おー万全だね」けたけたと私たちは笑った。
その夜、22時を過ぎると外が荒れだした。天地をひっくり返すような音がわめいていた。びょうびょうガガガガ。どどーんっと鳴ったのは、なんの音だったのだろうか。
「なんか、世界にふたりっきりになったみたいだね」
小さなベットに一緒に横になって、友達が言った。一人暮らしと一人暮らしが集まって、ふたりっきり。
ひゅおおおおっと風が強くなる。
「このままこの家飛ばされたらどうする?」
「宇宙まで?」
「ふふふっ、そうそう宇宙まで」
「そしたら、2人の宇宙人だね」
「宇宙人なら2匹じゃない? 単位で”人”使うのは、地球人すぎだって」
ひょおおおおっと、また風が鳴る。
「2匹の宇宙人になっちゃうね」
宇宙船地球号に乗り込んだ、たった2匹の宇宙人。
いいな。こんなときだけしかできないであろう会話がいいな。くだらなくて、素敵だ。
人生において最初で最後の、なんともいえない気分で眠りについた。