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もったいないばあさんの片鱗

私には、替え時がわからないものがけっこうある。

かつて、ひと昔前に流行ったクマのキャラクターのハンカチを使っていたら「たなべさんってものを大切にするタイプなんだね〜」と言われた。

全然違う。そう言われたときにハッと気づいた。そうか、このハンカチはもう今の私には不相応になっているんだ。ものを大切にするタイプという評価に全然嫌な気はしないものの、実際の私は流行のものへの替え時、新しいものへの切り替えどきが分からないだけなのだ。

そんなふうに言われて、気づいて、それから私は少しだけ恥ずかしい思いをする。

「このキャラクターのハンカチをこの年でまだ持っているのはまずかったか……」と。よくみると角のほうはぼろぼろで、もとは白だった布地部分も少し黒ずんでいる。漂白剤をいれた洗濯機で洗っているはずなのにこの有様というのはつまり、ハンカチの限界も近いということ。

これは、ちょっとだけ恥ずかしい。使い倒したという意味では流行のエコであるし、ものを大切にする地球人感があるけれども、酷使しすぎて限界が見えてないという点では、どうなのだろうと私は思ってしまう。

そして、そういうものが私の身の回りには実に多い。

例えば、今まさに私の隣に置かれている水筒もそうだ。ディズニーランドに行った友達からお土産としてもらったディズニープリンセスがデザインされている水筒。まず、ディズニーランドでお土産を買う、という時点でいかに昔にもらったものか想像できるだろう。しかも、水筒をお土産としてくれるぐらいだから、私をとても大切に思ってくれていた友達という部分でも、年季を感じさせる。

それでも新しい水筒に買い替えないのは、シンプルにこの水筒が使いやすいのと、水筒ホルダーなるもので包んでしまえば、ディズニープリンセスはすっぽりと隠れてしまって見えなからいいだろうという私の怠惰にある。けれども、綺麗に印刷されていたディスに―プリンセスはところどころ剥げかかっていてなんだかもの悲しい。


他にも、筆箱もそう。さすがに、縦に長くて両面がパコっとマグネットで外れる、鉛筆削りがついているタイプの筆箱ではないけれど。

それでも、大学生のころにスリーコインズで買った筆箱を社会人になった今も使い続けている。100均じゃないだけ大人加減がうかがえる。とはいえ、すでに内側の汚れが外側まで染み出してきているように黒い。チャックもかろうじで開け閉めできている感じで、よくここまで周りの布を噛んだり、閉めているはずなのにチャックが開き続けるみたいな壊れ方をしなかったなあと思う。すごい。


あとは、下着。下着といってもブラジャーやパンツじゃなくて、その上に着るキャミソール、タンクトップといった肌着の替え時も見失ってしまっている。

以前その肌着を替えとして実家に泊まりに行ったとき母親から、「こんなみっともないもの絶対に外では着ないで」と言われた。みっともないもの……声が出なかった。いや、確かにちょっとすたれてきたなあとは思っていたし、肩の部分がゆるっとしているとは思っていたけれど、そこまで言う?

「うちで捨てとくから新しいの買いなよ」と言われたけれど、結局私が一足早く肌着を救出して、一人暮らしの家に持って帰ってきた。


とまあ、こんな感じで替え時、買い替え時、切り替え時がこの年になっても今だによくわかっていない。昔、一世を風靡した「もったいないばあさん」という絵本があったけれど、そのばあさんを時々思い出しては、その姿に未来の自分を見る。

でも、よく考えれば、水筒も筆箱も肌着も「時がわからない」ということをわかっているから、今がまさに替え時なのかもしれないと思い始めてきた。

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たなべ
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。