迷っていることは、900字を通して結論が見えてくる
迷っている、ことがある。
何に迷っているとか、どうして迷っているとか、ジャンルとしてはなんなのかとか、そういうのを一切抜きにして、「迷っている」状態である今の私のことを書きたいと思う。
いや、違うな。
この時期に「迷っている」私であったことをそのまま残しておきたいだけなのかもしれない。
迷っている今の私は、脳の1部屋を常にその迷い事に貸し出している。だから多少なりとも、ストレスがかかっているなあと思う。考えないようにする、ができなくて、そもそも考えなくてよいことなら部屋を貸出たりなんかしない。
迷わなくなるために必要なのは、決断すること。こっち、と歩く方向を決めること。こっちじゃない、ともう一つの方向を捨てること。
もしくは、Y字路だという思い込みを捨てて、三叉路にすること。
ただ、この三叉路に気づくためには、相当な時間と体力と、想像の限界が試される。もしやこっちにも道がある? と気づくためには、脳みその1部屋を想像に貸し出す必要があるのだろう。
しかし、悲しいことに今の私にはその余裕がない。想像に貸し出してあげる部屋がない。余白がない。
じゃあ、どうしたらいいのか。
私が導き出した1つ目の決断は、「もう、動いてしまうこと」だ。
「迷い事」は、悶々と自分の中でこねくり回しているだけではずっと生地のまま。冷蔵庫から、新しい食材を取り出して混ぜるとか。レンジに入れてチンしてしまうとか。
どうなるかはわからない。
お菓子を作りたいのか、料理を作りたいのかわからないけれど、砂糖をいれたらお菓子になるし、オリーブオイルを混ぜたら料理になるだろう。
だから、砂糖なりオリーブオイルなりを入れようというわけだ。それが「もう、動いてしまう」ということだ。
こっち、と決めたら引き返せないかもしれないけど、もとより、もといた位置に戻ることは日々できないのだ。昨日の私と同じことをしていたとしても、それをしているのは明日の私。毎日は、常に上書きされている。
もといた位置に戻りたいのなら、引き返すのではなく、同じような状況をもう一度目の前に作ればいい。同じ位置を、目の前に持ってくる。
うん、そうだ。
そう思っているから、動いちゃおうと思っているんだ私は。