爪の先まで私らしくありたい、という叶わない夢に憧れている
できることなら、手の爪の先・足の爪の先まで私らしくして、まるっと私を好きになってほしい。それを見て、私も、私をもっと好きになりたい。
「???」が浮かんでいるそこのあなた。私は今からマニキュア・ペディキュアの話をしようと思う。
というのも、きらきらカラフルな街、インスタグラムを今日もぷらぷらしていると、マニキュアの動画が目についた。私の情報源とnoteのネタはだいたいこの街に転がっている。
何の気なしにぷらぷら散歩していると、犬のうんちを見つけちゃった小学生のように「わー!! なんだこりゃ!!」となることが多い。手にはしっかりと長い木の棒を握っている。
そこで見つけたうんt……ではなく、そう、マニキュアの話をする。
最近インスタグラムでよく見かけるのが、このロムアンドというブランドのマニキュアだ。赤……とも、青……とも断定できないニュアンスカラーがめっちゃくちゃ可愛い。塗りたい。これで爪を可愛くぬりぬりしたい。
と、思っているのだけれど、生まれてこのかた2回ぐらいしかネイルをしたことがない。
なぜなら、悲しいことに爪に耐性がないのだ。私自身と同じように呼吸をさせてないと爪は薄くなり、わからないと思うのだけれどぱりぱりになってしまう。
さらに、私はなぜか爪の先端白い部分が苦手なのだ。恐らくこの部分は、黒毛和牛でいったら”霜”に該当すると思うのだけれど、この部分がどうしても苦手で、私の爪はいつも深爪状態になってしまっている。圧倒的に切りすぎている。
マニキュアよりも前に、まずはこの部分を伸ばして整えることが先なのだろうけど、それができないから、マニキュアができない、というスパイラルに陥ってしまっている。
爪が手全体に与える影響って実は意外に大きくて、靴や洋服、アクセサリーでコーディネートが完成するように、マニキュアは一番小さいファッションなのだ。手って日常、一番自分の目に入るはずなのに、一番地味だなと私は自分の手をみるたびに思う。そこにぱっと花を咲かせるのがマニキュアという魔法だ。
前職時代、季節を取り入れたネイルをしている同僚がいた。例えば春は桜色のマニキュア、夏はすいかのデザイン、秋はタータンチェック、冬はトナカイやサンタのイラストが爪に書かれていた。その子に「ネイルするのってめんどくさくないの?」と聞いたら彼女はこう答えた。
「自分で簡単に見れて、ちゃんとテンションあがるよ」
確かに、おにゅーの洋服も上手に決まった前髪も、鏡を見ないとその全貌はわからない。それに比べてマニキュアはどうだ。パソコンを使っているなら、もうほとんどずっと目に入っている。可愛い、が簡単に目につく。まじまじ見たときなんて、「くふふ」と思わず自分で笑っちゃうだろう。
羨ましい。羨ましい。マニキュア羨ましい。
……とここまで書いて、マニキュアってどういう語源なんだろう、と気になった。ので、調べてみた。
爪のお手入れのことが、マニキュア! なんと広い意味だったのだろう。週1で深爪になるまでぱちぱちと爪を切ってしまっていた私はすでにマニキュアをしていたのか。
さらに、マニキュアの歴史は古代エジプトにまで遡るという。古代エジプトでは、爪先の色が階級を示す一つの道具であり、階級が高くなる程真紅に近い濃い色をつけていたらしい。
もしそんな世界線のままだったら私は、色を塗る爪がなくて困っていたことだろう。よかった、現代で。