自分の後ろに溜まっている後悔の匂いと存在を
ため息がでる。できない自分にため息がでる。
連日、ちょっと追われていることがある。お披露目のために今は頑張りどきで。自分が関わっている実感が、今までのなによりも持てている。0から作られている、その過程に自分が関わっている体感。それが嬉しくて、だから目一杯頑張りたい。
かつての私が今の私を見たら羨ましくて、1日泣くだろうなと思う。記事を書いてお金をもらっていて。編集方針を作るところから関わって、どんなことをどのくらい、誰に伝えたいかを考えるところから関わらせてもらっていて。身に余る幸せだ。この状況を幸せだと思える自分になれたことも幸せだ。
あのときちゃんと手を伸ばして、諦めない私だったから、今ここにいれる。それが嬉しくて嬉しくて、自分の頑張りに自分が一番拍手喝采を贈っている。
だけど。ううん、だからこそ。できていない自分に腹が立って、ため息がでる。言われたこと以上のことを。かけてもらっている期待以上のことを。あっためて、おっきくして返したいのに、今のところそれはあんまりできていない。
ちょっと前は、自分でどこまで進めていいのか塩梅がわからなくて、「確認」に次ぐ「確認」をしていた。でも、相手が求めていた「確認」の量は、私がしているよりも、もっともっと多かった。もっと「確認」してほしかった、と後で知った。
そうか、もっとか。はあああ。なるほど。期待していた数から足りていなかったのか……はあ。
今は、流れがわかってきて、自分である程度進めていい裁量が大きくなった。と、同時にあるものも大きくなった。
責任だ。
私が進めなければそれは進まない。私が1つ1つを把握していないと、聞かれたときに何も答えられない。私がしていること、私がしていないこと、それらがちゃんと作っているものに影響している。裁量と責任。その天秤を、私は勘違いしていた。
何か心配なことはある? ってそう聞かれて、うまく答えられなかった。お任せしてるから、ちゃんと進捗を見える化してね。そう言われて、自分一人で抱え込んでいたことを明らかにされた。
はあああああ。そうか、うん、はあ。そうか、そうだよな。私、何かが漠然と不安で。ちゃんと貢献できてる気がしていた。気がしてただけだった。
「作りたい」がなきゃ行動は始まらないけど、「作りたい」だけじゃ何も作れない。それに伴う買い出しとか、道具を揃えたりとか、設計図を書いたりとか、組み立てるとか。実体を作るためには、必ず実行動が必要なんだ。
ため息がでる。それができない自分にため息がでる。
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。
私が出してるため息はたぶんもっと安っぽい。幸せが逃げるタイプのため息だ。
私はきっと、「できると思っていたはずだったのに、実際やってみたらできなかった」自分、にため息をついているのだと思う。自分の期待に応えられていない、自分が想像したレベルじゃない自分にため息をついているのだと思う。
がっかりしたのはきっと自分の自己評価に対してなのだと思う。
どうしてそう思うのか。
だって、実行動をしていない、足りてないように感じるからだ。あのときああしておけば。あのときこうしておけば。毎日に、少しずつ少しずつ、積み残しの後悔が自分の後ろに溜まっていっている。うっすらとだけど、その匂いと存在を感じている。
まだまだまだまだ自分は何もできていない。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。