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ばらばらな文章を書いてしまったけれど、これも残しておこう
「君が他人の幸福を受け入れられなくて苛々するのは、今の自分の不幸を見詰めなくて済むからだよ。
他人の粗探しをして他人のことを心の中で叩きまくってたら、自分の上手く行ってない人生は一旦なかったことにできるから気持ち良いんだよね。
まず君はさ、君の不幸の根源を突き止めた方がいいんじゃない? それが何かは分からないけど、自分が満たされない理由から、人は避けて通れないと思うよ」
その一文を読んだとき、まるで自分に言われているかと思った。
ある本からの引用なのだけれど(きっと分かる人にはわかる)、このセリフを言ってるのはサークルの歳上の女の先輩で、言われているのは後輩の男の子だ。
この後輩の男の子気持ちになると、私は泣きそうになる。
だって先輩のセリフが、ほんとうに“そう”だからだ。
うまくいってる誰か。Instagramで見た彼氏と笑う友達だったり、仕事が楽しいとはしゃぐ先輩だったりするけれど、その人たちを心の中で叩いている間は、自分のことを後回しにできる。
足りてない自分、できてない自分、まだそこまで到達できてない自分。そういう、普段だったら頭から抜けなくて、悲しくて痛くて、心に巣食うきたない自分から、目をそらしていられる。
私が見つめなければならない、ほんとうの不幸の根源はここにあるはずなのに。
人は、どうしたって自分でしか埋められない隙間があると思う。自分だけにしか救ってあげられない自分がいると思う。
自分を受け入れてあげること。自分を認めてあげること。みんな、それはどうやってできるようになったんだろう。
私はまだ、こうやってできないときと、ちゃんとできるときが交互にくるっていう不安定さだ。
生まれたての小鳥のようにしなしなで、ぺったりと濡れている、その小さな塊のような自分を優しく抱き上げなければならない。
あの塊が、「心にいるほんとうの自分」だと受け入れなければならない。
私はそのことが今、うまくできないのだ。
そう、それが言いたかった。
今日はうまく認められない。しなしなで、ぺったりと濡れた自分を前にして、ちょっと引いてしまっている。
こんなのほんとの私じゃない。
もっと自信があって、勝ち気で、へらへら笑って、「元気でいいね〜」なんて言われるのが私だって、私はそう思ってる。
ごめんなさい、今日はちょっと心が荒んでいるかも。ちょっと失敗続きで、心が折れかかっているせいかもしれない。
あとは、泣き足りない夜が続いてるのかもしれない。もしくは、泣きたいと思っているはずなのに、泣けてない夜が続いてるからかもしれない。
こんなにばらばらな文章を書いてしまったけれど、これもちゃんと残しておこう。
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