#08 自分のHISTORY~1984年音楽と美容について
皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#07に続き、技術職人魂に火が付き初心に戻った、美容師見習い時代の1984年の音楽と美容について書きました。
1.HISTORY
日本のかつら職人の素晴らしさに心を打たれ、調子に乗ってビジネスに走っていた自分を恥ずかしく思い、日本の技術でもっと勝負する会社になろうと考えた。
そのためには、元々自分が特殊メイクアーティストを目指し始めた頃、いや、美容師として始めたばかりの、いわゆる美容師の見習い時代の頃に気持ちを戻し、自分自身が技術職人として勝負できるようにならなければいけないと思ったのだった。
思い返せば1984年、美容学校を卒業した僕は、『ビューティーサロン紫生穂(しきほ)』という美容室に就職した。
実は、特殊メイクアーティストを目指すため、まずは美容学校に行き、美容師になる事が必要とアドバイスしてくれた人物がいた。
リスペクトしている義兄の幼馴染みでもあった、美容師『齋藤潤一郎』さん、僕の美容人生の師である。
元々は義兄から『友達が美容師で成功してるから紹介してやるよ!』と言われ、最初はとりあえず会って話を聞いてみようと思った程度だった。
そして、初めて会った齋藤さん、とにかくカッコ良かった。
見た目はもちろん、話す仕草から内容全て、クールで隙がない、いわゆるカリスマ美容師だ。
一瞬で憧れの存在となった。
海外経験もあり、芸能界のヘアメイク経験、そして美容師としてもトップスタイリスト、輝かしい実績に気持ちが高揚した。
どうすればこうなれるのかを質問すると、まずは美容学校に入学し、卒業後、美容室でしっかり基礎を学ぶべきとのアドバイスを頂いた。
実は、美容学校への進学を決意した時、すでに1983年3月で、どこの学校も入学願書が締め切られていた。
諦めなければいけないのか、、、そう考えていた時、齋藤さんが自身の卒業した美容学校(カネボウ総合美容学校、現ハリウッド美容専門学校)に取り合ってくれたのだった。そして、なんとか入学させてもらえることになった。
(写真は、2015年次の同窓会。一番左が斎藤さん)
とにかく、齋藤さんの期待に応えるべく、美容学校は人生の学生生活で一番真面目に通い、これ以上ないくらい努力した。
その結果、総代として卒業できた(これは奇跡(@_@))。
無事、卒業出来たことをすぐに齋藤さんに報告した。
実は、ちゃんと真面目に通って、卒業することを前提に、齋藤さんがいる美容室で働かせてもらえることを約束してもらっていた。
いよいよ美容師として、メイクアップアーティストとしての第一歩、憧れだった齋藤さんと一緒に働ける!ワクワクしながらお店に通った。
しかし、現実は厳しい。
憧れの齋藤さん、営業中は相変わらずクールでカッコ良かった。が、営業後の練習になると、厳しい別人格な齋藤さんに変貌した。それも、怒鳴ったり殴られたりするわけではなく、常にクールに愛想尽かされたような感じでのダメ出しをされる。
ダメ出しの内容が的を得ているため、努力改善すべきところは明解だったのだが、理解していてもできない技術の壁に、心が折れそうな毎日だった。
特にシャンプーに対してこだわりが強い店だったので、店内でのテストに合格しないとお客様に入る事ができなかったので、この時の僕は、いわゆる雑用的な事しかやらせてもらえず、ストレスも溜まっていった。
その後、シャンプーに合格してお客様に入れるようになるまで、約半年くらいかかったのだが、実はこれが、ヘアー創作をする上で重要だということを知ったのだった。
齋藤さんからのダメ出しの内容で、いつも言われていた事が『頭の形を理解していない、人の頭は、みんな同じ大きさではない』ということだった。
自分なりに理解しているつもりだったが、頭の形を意識していないことによって、指のタッチの強さにばらつきが出てしまうことが、だんだんわかるようになった。
と同時に、頭に触れるだけで、形を認識して、指の強弱やタッチの変化ができるようになった。
さらに、シャンプー後のヘアスタイリングでは、技術は追いついていなかったがものの、無意識のうちにボリュームバランスを理解することができるようになっていた。
シャンプー合格後、齋藤さんが初めて呑みに連れて行ってくれた。
その時に言われた言葉は、今でも学生に同じことを伝えている。
『技術を人に教えられて、見様見真似でできるようになっても、それだけではお客様を満足させられない。
自分が、その技術の意味を心底理解することができて、技術が身に付けることができれば、お客様に満足してもらえる技術を提供できる。
しかし、そのためには、相当量の努力を惜しまないこと。
そうすれば、その技術の他に、関連する技術が自然と見えてくるようになる』
自分自身が、技術職人にならなければいけない、そう思った時、齋藤さんに厳しく育てられた時のことを思い出したのだった。
努力しよう。練習しよう。お客様に満足してもらえる仕事をしよう。
うちの会社は、『柳 延人』の技術が商品だと言えるようになろう。
現在も、株式会社ウィローは、僕自身が商品ですw
2.MUSIC JAM
ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。
僕の美容師見習いがスタートした1984年、この年の僕のレコメンド曲は、『ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン』の『セイ・セイ・セイ』です。
ポール・ マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエットとして話題になった曲で、当時、MTVで初めて見てハマり、聴きまくっていました。
アメリカビルボードで1位を記録、日本のオリコンチャートでも16位を記録しました。
Paul McCartney and Michael Jackson ‘Say Say Say
また、2015年に発表されたポールマッカートニーの『パイプス・オブ・ピース』に、『セイ・セイ・セイ』のリミックスバージョンが収録されていて、このMVがイケてます。
10代の少年が踊りながら、ストリートからダンスホールへ向かう道のりを描写した、エネルギッシュでアクティブな作品です。
Paul McCartney and Michael Jackson ‘Say Say Say [2015 Remix]’
そして、1984年のビルボード年間シングル・チャートはこちら
1. ビートに抱かれて / プリンス
2. 愛の魔力 / ティナ・ターナー
3. セイ・セイ・セイ / ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン
4. フットルース / ケニー・ロギンス
5. 見つめて欲しい / フィル・コリンズ
6. ジャンプ / ヴァン・ヘイレン
7. ハロー / ライオネル・リッチー
8. ロンリー・ハート / イエス
9. ゴーストバスターズ / レイ・パーカーJr.
10. カーマは気まぐれ / カルチャー・クラブ
11. ミッシング・ユー / ジョン・ウェイト
12. オール・ナイト・ロング / ライオネル・リッチー
13. レッツ・ヒア・ボーイ / デニース・ウィリアムス
14. ダンシン・イン・ザ・ダーク / ブルース・スプリングスティーン
15. ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン / シンディ・ローパー
16. ザ・リフレックス / デュラン・デュラン
17. タイム・アフター・タイム / シンディ・ローパー
18. ジャンプ / ポインター・シスターズ
19. トーキング・イン・ユア・スリープ / ロマンティックス
20. セルフ・コントロール / ローラ・ブラニガン
3.BEAUTY
ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていたビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。
1984年は、化粧品へのバイオテクノロジーの導入が本格化した年です。
油脂・界面活性剤・繊維など、化粧品に必要な様々な成分を作り、機能性化粧品や再生医療製品など、今やバイオテクノロジーは、化粧品にとって、なくてはならない存在です。
現在、国内のバイオ市場は3兆円を超え、医療・健康・美容品・化粧品は、50%を占めています。
今後、生物(DNA・RNA・タンパク質・代謝物など)機能をデザインし、人間の細胞へ直接適用させることで、新たな医療美容技術が変革されていくと言われています。
バイオが作りだす、美容経済成長の可能性は、まだまだ大きくなっていくでしょう。
バイオテクノロジーに力を入れるカネボウ化粧品の「バイオミメシス ヴェール」は、機器を用いて極細繊維を直接肌に吐出し、肌上に積層型の極薄膜をつくる花王グループの技術「Fine Fiber Technology(ファインファイバーテクノロジー)」の応用製品です。高性能小型機器によりつくられる極薄膜と美容液を組み合わせた、新たなスキンケアです。
タイトル写真出典
https://lmbeat.blog.fc2.com/blog-entry-181.html
https://ameblo.jp/yanagijuku/entry-12069065582.html
https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP522528_R01C19A1000000/
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