陽キャじゃないとモテないのか?
そう思って過ごしていた学生時代の私。
クラスの端っこにいるわけではなく、かといって目立つようなキャラでもなく。
ムードメーカーのクラスメイトを見ては羨ましく思っていた。
あんなに明るければ男女分け隔てなく関わることができる。
てことは女子とも接触回数が増える。
かわいいあの子と話せるチャンスが増える!
なんて妄想までしていた。苦笑
でもムードメーカーである男子を見ると毎度絶望する。
自分自身とあまりに違いすぎる。
まずコミュ力。
あんなにスラスラ言葉も出てこないし誰にでも気軽に絡めない。
そして運動神経。
アイツみたいに足が速くなくて部活でも活躍しているわけじゃない。
要は自信がなかった。
自信がない自分なんかが出しゃばったらキモいんじゃないか、って勝手に想像してはブレーキをベタ踏みしていた。
自分なんかが。
自分なんて。
どうせ。
でも。
だって。
今思えば言い訳の達人じゃないか。
自信がないことを、誰よりも自信をもって証明できる!
そんな気がしていた。笑
そんなジレンマに陥り、アクセルとブレーキを同時に踏んでは、身動きがとれない自分を必死で演じていたように思う。
陰キャの根源は【自信のなさ】だ。
【自信がない自分】さえ克服すれば毎日が楽しくなる。
自分に自信がもてれば女の子にだって気軽に話しかけられるようになる。
足が遅くても、自信さえあれば、いつか速くなると信じてトレーニングに打ち込める。
自信のなさが自分をダメにしていることに気づいた。
自信のなさが全てのブレーキになっていると思った。
陰キャの男なら誰しも一度は思ったことがあると思う。
でも今だから言える。
「別に陰キャのままでよくね?」って。
私は根っからの陰キャだ。
これはちょっとやそっとじゃ治らない。
治すべきものでもないとも思うし、ただの個性でいいとすら感じている。
【陰キャの自分を否定して、陽キャの自分に生まれ変わる】
そんなのは夢物語だ。
私に言わせれば、茶番だ。
陰キャには陰キャの良さがある。
陽キャには陽キャの良さがある。
つーか、そもそも陰と陽の2つに分ける必要がどこにあった?笑
日本人はどっちかっつーと否定的なことに敏感な国民性がある。
陽キャという概念を創り出し、相対的にダメな側の自分に名前を付ける。
それが陰キャの始まり。
陰キャなんてただの概念だ。
自分が自分のことをどう思うかだ。
他人から陰キャだと言われても、自分がそうじゃないと思うならそうじゃなくていいんだよ。
自分のことをどう思うかなんて、自分が決めればいい。自分だけがわかっていればいい。
他人から勝手に決められて、それに甘んじて受け入れるのは違うだろ。
自分の生き方は自分で決めろ。
よし。
だいぶ脱線したけど話を戻そう。
陽キャじゃないとモテないのか?って話だが。
別に陽キャじゃなくてもモテるよ○
私がそれを証明している。笑
スーパー美人の奥さんがいて、石原さとみに似ている。
仕事中も美女と話す機会が多くて、何なら向こうから話しかけてくる。
大事なことだからもう一度言う。
私は根っからの陰キャだ。笑
でも自己否定することは少ないし、少なくとも経験と知識と知恵があるからそれが自信になっている。
自分の頭に投資したんだ。
自分の経験に投資したんだよ。
知識と経験が合わさって知恵に昇華した。
だから私は強いんだ。
他人が奪おうと思っても奪えない武器を持っているんだもの。
その武器は決して人を傷つけるためにあるわけじゃない。
攻撃するためにあるのでもない。
私自身を守るためにある。
それが知恵であり自信だ。
辛酸を舐めながら獲得してきた自負がある。
そして私だけではない、大切な人や愛する人を守ることもできる。
自分が道を誤りそうになった時に教えてくれる。
それが私の武器だ。
他の男にはない。
私の信念でもある。
私を信じてついて来てくれる人には
出し惜しみせず伝えていくよ。
→秘伝の書