守られすぎた女
女。27。
都内で生まれ、都内で育ち、都内で義務教育と学位を修めた。
一度も親元から離れたことがないどころか一人で県外に出たこともない。
大学入学の際に、一人暮らしについて親と話し合ったが、最寄り駅から乗り換えなしで通えるし、一人暮らしの条件としてアルバイトが必要だとも言われたので結局実家から通うことにした。
そのことに父は喜んでいたのだと母は言っていた。父は私に甘いのだ。
父は昔気質とはいわないまでも、亭主関白と愛妻家と子供大好きをいいかんじにミックスしたような人だ。
昔一度だけ、父が保険かなにかの営業マンと家で話をしているところを見た。その時の父の表情ををよく覚えている。
恐ろしくもあり、頼もしさもあり、かっこいいと思った。家では絶対に見せない社会人モードの父の顔だった。営業マンを射殺すような目つきで会話をしていた。
営業マンとの会話中、母がまるで父の秘書のように一言も発さず父の隣にじっと座っていたもの印象深い。
父を恋愛における基準として設定した。
結果、私の理想の男性には大学在学中には出会えなかった。理想というか基準が高すぎたのだ。
物心ついたころには兄と弟がいたし、男性恐怖症ではない。ただどんな男も父と比べると頼りないガキでしかなかった。
母や祖母に幸せになるための男の選び方とか、強い男に好かれるために女としてあるべき姿を刷り込まれたのもあるのだろう。
「育ちがいいね」といろんな人に言われてきた。自覚はないが世間的にはそう見えるのだろう。
そのおかげか品行方正と言えないまでも、ずっと上手に立ち回ってきた。
男には好かれるように振舞いつつも、女の嫉妬の対象にもならない。
だれからも嫌われない立ち回りをしてきた。
いやしてこれたといったほうがいい。
大学を卒業して、実家からバスで通える総合病院の看護師として就職した。
25才になるころには焦りと退屈から、マッチングアプリを始めた。
頼りがいがあって誠実な印象に惚れた私の初めての彼氏は警察官だった。
いまも実家暮らしだが、もうすぐ交際して2年になる。将来に向けていつか親元を離れる日も近いのかもしれない。
彼は頼りになる。そう思える時間を積み重ねてきた。家族も味方だとわかっている。
それでも不安だ。
私はすべてを与えられ、愛され、守られ、傷つかずに生きてきた。生きてこれてしまった。
だから怖い。
一人暮らしが怖い。同棲が怖い。
一人暮らしすら怖い。同棲すら怖い。
一人暮らしを始めることで「人に嫌われない」立ち回りに綻びが生じることが震えるほど怖い。
人に嫌われることが怖い。
私が今日まで完璧に立ち回ってこれたのは、母が家事に炊事にと仕事から帰ってきた私を甘やかしてくれているからだ。
申し訳ないと思う。
情けないと思う。
ここまで甘やかして育ててくれたのにもかかわらず、挑戦を拒んだのは私なのにもかかわらず、私に傷に慣れるチャンスが欲しかったと考えてしまう。
辛いときに大声で喚き散らしたり、ものに当たったりしたい人生だった。
ムカつく女とは殴り合うような野蛮な強さを持ちたかった。
自分の常識を疑う事件が欲しかった。
恵まれすぎて、一人暮らしすらできない女になってしまった。
親にずっと頼っていられないことも知っている。両親はもうすぐ還暦だ。
焦る。
「親を利用して逃げているだけ」と職場の同僚に言われた。耳が痛すぎる。
実家にお金を落とせば家計が浮く。父も母もさみしくさせないですむ。なにかあったときにすぐ助けられる。私も家事を手伝っている。
親孝行をしてるんだ。誰も私を責められはしまい。
親も喜んでいるし、win-winだ。
私は逃げてない。時間切れが私を動かすまで待っているだけだ。
逃げてない。