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宮本輝の「途中下車」から考察する人生における選択の意味
はじめに
自分が高校生の頃、授業で取り上げられた短編エッセイで、今でも強烈に印象に残っているのが、宮本輝氏(以下敬称略)の「途中下車」です。
色々な考察ができる素晴らしい作品ですが、私はその中で「人生の分岐点における選択の重み」について大いに考えさせられました。
そこで、今回は自分自身の経験と比較しながらこの作品のテーマを掘り下げてみたいと思います。
「途中下車」のあらすじと印象的なポイント
ざっくりとこの「途中下車」のあらすじを言うと、主人公が友人と大学受験のために上京する列車の車中で女子高生と偶然出会い、そのことがきっかけで「途中下車」して受験を放棄してしまう、というお話です。
そして、この短編で最もインパクトを感じるのは、その後、その女性に電話をかけたときに主人公が女性や友人に嘘をついて、それがその後もずっと心から消えなかった、というエピソードです。
詳しくはぜひ本編をお読みください。
自分自身の「途中下車」体験
さて、この「途中下車」というものを「人生の方向を変える選択」と捉えると、自分にもそういった途中下車の経験があります。
私は中高一貫校で吹奏楽部に所属していましたが、トランペットが全然上達しなくてとても悩んでいました。そんなときに、たまたま歯列矯正の話が舞い込んできて、自分はそれを理由に楽器をトランペットからファゴットに転向するという「逃げ道」を思いつきました。当時自分はこの選択を「逃げ」だと思っていましたが、ものすごく心が救われたのも事実でした。今ではファゴットは自分の趣味としてなくてはならないものにまでなりました。
宮本輝作品の「途中下車」との比較
作品の主人公は、受験を放棄するという選択をしましたが、それ自体への後悔というよりも、その後の「嘘をついたこと」がずっと許せずに残っているということでした。
それに対して、自分の場合はトランペットからファゴットに転向したこと自体が「逃げ」であると感じて否定的な感覚がずっと残っていました。ただ、その後授業の中でこの「途中下車」という作品に触れたときに、自分の過去の選択が正当化されたような気持ちにもなりました。そして、時間の経過とともにこの選択の意味は肯定的なものとして再解釈するようになりました。
人生の分岐点における選択が、その後の流れを決定づけるという怖さと可能性
主人公がもし途中下車せずに受験をしていたらどうなっていたでしょうか?きっと全然別の展開になっていたことでしょう。同様に、自分もあのときファゴットに転向せずにトランペットを続けていたらどうなっていただろうか?と考えると不思議な気持ちになります。どちらが失敗でどちらが成功などという単純なものではないのです。ゲームのように少し先を覗いてから分岐点まで遡って選択をやり直す、なんてことはできません。
自分は今回この「途中下車」を再読するまで、本のテーマを少し抽象化すると、「人生において何か壁にぶつかったときに、真正面から向き合ってしまうとあまりに辛いのならば、いったん離れたりまわり道をしてみるのも悪くない」という命題が感じられるように記憶していました。
実際読み直してみると結構趣が異なっていましたが(笑)、この作品の影響を大いに受けたのは間違いありません。
「逃げ」だと思った選択も、長い目で見ると新たな道を切り開くこともある、ということをこの作品と経験から学びました。
まとめ
宮本輝の「途中下車」という作品を通じて、過去の選択を正当化するだけにとどまらず「人生における選択の本質」を問い直すきっかけとなりました。
「途中下車」は失敗や逃避ではなく、人生を豊かにする選択肢の一つになり得ます。そしてその選択に対する捉え方、内面の認識によって解釈も変わりうるのです。
皆さんは人生において途中下車といえるものはありましたか?そしてそれはどのようなものでしょうか?