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命とは

こんにちはMAIです
命について近日考えているので、少しずつ文章を残していきたいと思います。

最初は余談から。
私は2016年頃から、自分で語ったものや適当に歌っているものをボイスレコーダーで録っていました。
始めたきっかけは、
その当時、通勤時間が片道1時間以上あり睡魔に負けそうになることが多々ありました。
すごく眠かったのでハンズフリーにして誰かと電話しながら帰ったら眠たくなることがありませんでした。
だからといって、毎回電話相手が見つかるはずがなくボイスレコーダーを使用して大きな声で一人で語る事が増えていきました。
話している内容は特別でもなんでもなく
こんなことがあった~!!こう感じたんだよね~!とばかりで声で記録した日記のようなものです。

近日のボイスレコーダーの使い方は
自分が語りたい考えたいことについて語り
5.6時間あけて聞くと
それについて思うことがあるので
またボイスレコーダーで録るをやっています。

その自分の中でディベートしていると感じで
考えていたものが、少しずつ形になり具体性が出ている感覚があろ面白いです。


では、ここでタイトルの「命」についてですが
生きているもの全てに命があれば、生きていないものには命がないのか?

ふと、頂き物の「きんつば」を食べていたら
ツルんと輝く小豆が目に入り、一粒一粒生きていたんだな~と何気なく思いました。

そこから、きんつばの原材料になりそうな
砂糖は生きてる?
小麦は?っと連想していきました。
この二つは植物からきているので、生き物にカテゴリー。
しかし、食品添加物は?となりMAIの脳は???と止まります。

有機物・無機物としてとりあえず検索したところ
無機物とは水・二酸化炭素・ガラス・金属・鉱石とありました。

それを見て
無機物も生きてるなっとなりました。
何かの実験で水の結晶が言葉によって形を変えるというものがあり。
形が変わるのは生きてると私は思い、そこから出てきたのは


形が変わればみな生きている。


昔の私のボイスレコーダーに
人間はなぜ生きているのか?について悩んでいることがありました。

人は生まれたら、死ぬことが決まっている。

そんな誰もが知っていることかもしれませんが、どうせ死ぬなら何やっても無駄だろ、、、っと思います。
その短い時間を楽しく生きたほうがいいよね!という考えもわかりますが

何をどうやろうと、ゴールが死なら意味がなくない?と落胆してネガティブキャンペーンに飛び込むのがMAIの常。

じゃあ、なぜそもそも生きているんだ?となります。

でも、なんとなくわかるのは
人間として生まれたら死ぬというのは
始まったら終わりがあるということ。

過去現在未来のように
スタートもゴールも同じ線上にあるというわけでなく
始まりと終わりは球体のようなイメージが出てきました。
これがなんでそんなイメージかは説明できません。
そうじゃないかな?ってふと思いました。

その球体がどんな感じに光り輝くのか、形を変えていくのかが
「生きる」ことなのか、、、と今の時点ではそういう答えになってます。

すべて生きてる。
生きている道はそれぞれで、
自分を表現したり変化していく
同じ人やモノがこの世に絶対にないように
何かを始めて球体が増えて、
何かを挑戦して球体が光ったり形を変えたり
その球体が集まって変わり続け、どんどん大きな輝きになることを
「命が輝く」と表現するのかもしれない。

また数時間後にボイスレコーダーを録っていたら考えが変わるかもしれない。
ただ、もやもやして考えを巡らせるのでなく
毎回アップデートしていくかのように日常に目を向ける。
常に考えていることは忘れ無い。


なぜなら、私はネガティブキャンペーンにいくのではなく
常に変わって輝いていたいから。

さあ今日もまだまだ頑張るぞ!
遅くなりましたが
あけましておめでとうございます。
2025年もよろしくお願いいたします。

またね💛

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