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絵の方向性に悩む

「いやいや、いきなり何言ってんのさ。あんた細密動物画家でしょ? 細密表現で動物を描くのをやめようってわけ?」なんてお叱りの言葉が聞こえて来そうですが、悩むことだってあります。
正確には「定期的に悩んでいる」になるわけですが、これだけは確実に言えます。
悩んだからといって細密も動物もやめません。

では、いったい何を悩む必要があるのか?

まぁ、悩むというのも端的な表現ではあるんですが、自作の持ち味である細密をどう活用し表現の幅を広げていくか?を真剣に考えるタイミングを迎えたと言った方がしっくりくるかもしれません。

今まではどうたったのか?

まず、ここまでがどんな流れで今のスタイルに落ち着いているのか?を分析する必要がありますね。
私も最初は「写真を見てなんとなくそっくりに描けた!(満足)」という状態でした。多くのリアル系作家さんがそうでないでしょうか。
そこから他の作家さんの作品を見て、全く異なるジャンルの作家さんの話を伺い、技法を工夫し、満足いくレベルで細密に描けるようになって来た頃、「写真を見てそっくりに描く時期はもう終わった。」と感じました。

理由は簡単で、どんなに頑張ってそっくりに描いたところで写真を評価基準にしている時点で最高レベルまでスキルを高めても写真が100点です。
写真に追いつこうとするなら、写真以上の作品を描くことは出来ません。
もちろん自分で撮った写真を参考にしているため、借り物の100点ではないことは安心出来る部分ではあるんですが、それでも写真が100点であることに変わりはありません。

その後、描き方をさらに工夫し「人並み以上に細密に描ける」と納得出来てからは、写真の扱いが変わりました。
ポーズの参考や形状で不明なところを確認したり、いろいろな角度から撮った写真を比べて頭の中に立体像を作るだけに留め、その結果、写真と似てなくても気にしなくなり、今の表現に至ったわけです。

ウリが「そっくり」から「細密」に変わっただけに見えるかもしれませんが、写真の呪縛から解放されたことは制作の幅を広げる自由度が大きく飛躍したことを意味します。だって、写真と全く違った絵も描けるようになるわけですから。

一歩先に進むには?

ここからが本題の悩みどころです。
やはり「私らしい作風」であることは絶対外せません。
しかし、同じような作品ばかりでは飽きも来ます。
見て下さる方もそうですが、描いてる私だってモチベーションの維持が難しくなってしまいます。
となると、達成まで何年もかかるような大きなテーマを設け、それに沿った制作を進めれば、私のモチベーションも維持され、新規性のある展示も出来るというもの。
きっと今の私に欠けてるのは、こういった視点なんだろうなぁ。と、この記事を書きながら漠然と見えて来た気がします。

どんなテーマにすべきか?

「テーマ」と、ひと括りにしてしまってますが、考え方もさまざまです。
ベースにあるのは「動物画」「細密」「仄かな彩色」「模写ではない」「背景は描かない」といった部分ですので、これを発展させるのか、新たな”何か”を追加するのか? 削除するのか?、はたまた全く違う方針を打ち出すのか? で進み方が全く変わって来ます。
系統樹で言えば、大きな分岐にいるような感覚がそこはかとなく感じるのは、そういった理由からでしょう。
あたかも、クマに進化するか?パンダに進化するか?のような(違)

実際、悩んでるのは単なる描き方、技法、モチーフではなく、今後、作家として進むべき方向性です。
今現在、私が進んでいる道に終点が見えて来たわけではありませんが、さらにその先を見据えて舵を決るべき時が今なんだろうと感じているわけです。

さて、長くなりましたが核心を言ってしまいましょう。
それは「デザインに振る」か、「絵画に振る」かです。
「2択にせずどっちでも進める。でいいじゃん。」なんて気軽に言われそうです。
しかし、両方を突き詰められるほど私に残された時間は多くはなく、手持ちのスキルも両方に割り振れるほど多くはありません。
人生は有限だし、割り振れる能力値に限度もあります。
その中で最高到達点を目指したいじゃないですか。
潰しが効くように安全策を選び続けるのは到達最大値を下げる結果になり、最終的にリスク過多に陥るのが目に見えてますから。

やるならカリカリに尖らせよう!

割けるリソースに限度があるなら、どちらか一方に”極端に”振り切らないと、私程度では周囲に埋もれてエンドを迎えることになります。
何か1つだけでも誰にも真似出来ない(もしくは、真似しようとは思わない)作風、スキル、熱量などなどを突き詰めていけば、自ずと道は開かれるはず。
だからこそ、進んだら戻らない覚悟と信念が必要になる・・・なんて考えると、悩んでしまうんですよね。

そして、この悩みは作家誰しも持っているもののはず。
当然結論が出ず長期停滞してしまったり、制作に行き詰まってフェードアウトしてしまう作家さんだっています。
だからこそ、やるなら突き詰める姿勢は失いたくないものです。

今は多様性の時代です。
誰とも異なっている、触れたら怪我するくらいに尖っていることにすら価値がある。
私は、そんな尖具合を突き詰めていきたい。そう考えるわけです。

ところで・・・

細密動物画はSNSと相性があまり良くありません。
理由は簡単。
スマホの小さな画面では細密具合も分からなければ、原画の雰囲気も伝わりません。クローズアップと全体の引いた画を載せても想像が難しいようで、細密画としての拡散効果もそれほど高くありません。

なら細密を捨ててデザインに振るのもアリか?というと、今、ウリを捨てるのは愚策です。原画を見てくれた方の感想を聞く限り、その選択肢はありません。
だからといって、SNSから手を引くのもNGでしょう。
有用な宣伝ツールは捨てるべきではありませんから。

では、どうすべきか?

やはり「細密は捨てず、画作りに注力」が現時点での有効な選択肢のようですね。
画作りの実力を伸ばすには 見る 考える 試す、を繰り返し「自分の感じるモノ」と「周囲が求めるモノ」のすり合わせをしていくしかありません。

そして、そこにどういったテーマ性を持たせるか?

うーん、悩みは尽きません。

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