#2. 出逢い 【虹の彼方に】
彼女と初めて出逢った当時、ボクは43歳で建築関係の中間管理職をしていた。
当時の職務内容は、中間管理職と言いつつも、元請や職人との折衝に加え、慢性的な職人不足を補うため、そして現場の工期に間に合わせるために、自ら現場にも出て肉体労働をしながら事務作業もしつつ、受け持ちの現場のトラブルシュートに走り回ったりといった、とてもハードで何でも屋のような要領の悪い生活を続けていた。
若い頃にそれなりに鍛えていた時期もあったので、同世代に比べると体力や筋力には自信があったものの、四十代に突入してから精神的にも肉体的にもしんどさを感じはじめ、これまでに経験したことのないような疲労感が身体を襲うようになっていた。
それまであまり行ったことはなかったが、身体のメンテナンスとして、腕の良いマッサージをしてもらえるところはないか、いろんなツテを使って良さげな店舗を探していた。
安価なフランチャイズ店は数多くあったのだが、そういう店舗ではこれまでの経験上、力加減が痛かったり、逆にくすぐったかったりして、あまり良い印象を持っていなかった。
なので個人経営のゆっくりできそうなお店を探していたら、彼女が経営するハワイアン式のロミロミマッサージの店にヒットした。
ボクはさっそく予約を入れてみた。
大阪市内の中心部にあるタワーマンションの一室が彼女のサロンとなっていた。
予約当日、扉が開くと満面の笑みでボクを迎えてくれる彼女がそこにいた。
屈託のない明るい笑顔がとても眩しく印象的だった。
軽くカウンセリングを済ませて、質問されるがまま好きなアロマの香りを数種類選んだ。
選んだアロマを彼女がブレンドしている間に着替えて施術台に横になる。
ゆっくりと優しく施術をしてもらいながら、話のネタとしてプライベートではボクが「ジョニー」というあだ名で呼ばれていることを話した。
「ジョニーさんって覚えやすいし、呼びやすいし、めっちゃいいじゃないですか」
彼女は微笑みながら優しく応えてくれた。
マッサージは力加減がちょうど良く、とてもリラックスすることができた。
施術中の会話も弾み、意気投合した。
彼女は年齢の割に筋肉質だった当時のボクの身体をとにかく褒めてくれた。
あまりにも意気投合したので、施術後にダメ元で後日食事に行こうと誘ってみた。
やんわり断られるかとも思ったが、意外にもあっさりとOKしてくれてその場で連絡先を交換した。
数日後、約束していた彼女との初めての食事の日、約束の時間に待ち合わせた場所に向かった。
彼女は一匹の犬を連れてきていた。
「はーい!息子のワンキチでーす!」
とても可愛い小型犬だった。
「あらら、めちゃ可愛い!犬種はなんていうの?」
と、ボクはしゃがみ込んで、足元で戯れてくる犬を撫でながら尋ねた。
「んー、保護犬やからよくわからんねん。ジャックラッセルテリアの血は入ってると思うけど、たぶんミックスかなー。」
よくみると、左の前脚の先端が欠損していた。
虐待によるものらしいことを聞いた。
ワンキチを0歳でお迎えしてから、もう9年目だという。
ワンキチはすぐボクに懐いてくれた。
「この子が初対面の男の人にこんなに懐くの珍しいよ。」
なんだかうれしかった。
ボクは保護犬という言葉と意味を彼女に教えてもらいながら、様々な背景も含めてそういう存在があることをこのとき初めて知った。
食事は彼女が近くの居酒屋に行こうというが、犬を連れて居酒屋は無理じゃないかというボクの心配をよそに、「ええねん、ええねん、この店はワンキチ大丈夫やねん。」と、屈託のない笑顔で話す彼女がとにかく可愛くて、ボクはどんどん彼女のペースに惹き込まれていった。
居酒屋に入ると、ワンキチを連れてても当たり前のように奥の座敷に通してくれた。
ボクがワンキチを抱っこした状態で、酒を酌み交わしながらお互いの他愛もない話をした。
とても楽しい時間を過ごし、彼女との距離も随分と縮まったと思った。
そのまま帰りたくなかったので、ボクは二軒目に誘った。
二軒目もこれまたワンキチが入れるというバーに行ったのだが、生憎その日は閉まっていた。
仕方がないので、一旦ワンキチを彼女のマンションに置きに帰り、改めて違うバーに2人で入った。
ワンキチを彼女の家に置きに帰る時間のロスもあったし、楽しい話に夢中になりすぎたのもあって、気がつけば終電の時間がとっくに過ぎてしまっていた。
ボクはタクシーで帰ろうかネットカフェに泊まろうかと思ったが、そのまま流れで彼女の家に泊まらせてもらうことになった。
「出会ったばかりなのにいいの?」
と尋ねるボクに、
「私ね、男性でも女性でも、その人と相性が良いかどうか、その人とこれからもずっと仲良くなれるかどうか一瞬でわかるねん。」
「じゃあオレはオッケーってこと?めっちゃうれしい!」
なんだかこういうのは久しぶりで、四十代にもなって少々はしゃぎ過ぎている自分が少し照れくさかった。
その夜、ボク達は抱き合った。
途中でボク達の間にワンキチが入ってきて、なんだかとても笑った。
本当に恥ずかしいのだが、ボクは自分がとてもブサイクなのを自覚してるし、自分に自信が無い分、常に虚勢を張って生きてきた。
彼女は人と相性が合うかどうか一瞬の感覚で判断できると言っていたが、ボクは時間をかけて相手の人となりを観察しないと判断できない人間だった。
ただでさえ見た目が強面なのに、いつも険しい顔をすることで周囲を威圧し、相手との距離を取って、まずは相手を観察することが無意識でクセになっていた。
しかし彼女はそんなボクの虚勢という氷の壁を融かすように、何気無いボクの言動をいつも褒めてくれることで、距離を優しく縮めていってくれた。
そしていつも優しい笑顔で、
「だからほら、笑って。」
と、言ってくれた。
ボクは幼少の頃からずっとずっと、自分の笑顔が嫌いだった。
鏡を見るたびに、自分の顔が気持ち悪いと思っていた。
一緒に過ごす時間の中で、彼女は笑えば必ず幸せが舞い込んでくることを、こんなボクの為に一生懸命に説いてくれた。
いつの間にかボクは彼女の前では不自然ながらも笑うようになっていた。
「私と一緒にいたら絶対に幸せになるよ。」
自信満々に彼女は言う。
ボクの見栄と虚勢に塗れたアホでクズな過去を知ったところで、
「人間はね、何歳からだってやり直せるねん。だから大丈夫よ。絶対に私があなたをもっと素敵な人に変えたげるから。ほら、笑って。」
四十数年間も生きてきて・・・
今まで誰にもかけてもらったことのないよ・・・
そんな言葉・・・
オレ、今からでもまだやり直せる・・・の?
大袈裟ではなく、本気で女神さまが現れたのかと思った。
今まで体験したことがないほど、ボクの心が大きく動いた。
ほとんど諦めかけていたこれまでの自分の人生だった・・・
「人生なんてこんなもんだ」と自分勝手に悲観していた・・・
彼女が突然現れて、ボクの人生に一筋の明るい強烈な光を照らして導いてくれている気がした。
こんなに美しくて素敵で眩しい太陽のような女性が、何の取り柄もないブサイクでクズでダメ人間なボクを幸せにしてくれるって?
彼女と出逢ったことで、クズ人間だった自分自身が本気で変われそうな気がした。
それからしばらくして改めてボクは彼女に告白し、ボク達は自然な流れで付き合うようになった。