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我々は「人口減少の危機をただ騒ぐだけ」の恐竜になってはいけない!

久しぶりに対談連載の記事をアップしました。

今回対談したのは歴史人口学者の大御所でもある鬼頭宏先生です。現在は静岡県立大学の学長をされています。

拙著「超ソロ社会」の執筆においても先生の御本「人口から読む日本の歴史」は参考にさせていただきましたし、今回は聞きたいこともたくさんあり、始まる前からわくわくしっぱなしでした! 

FOR2035来るソロ社会の展望を語る–vol.7前編/ゲスト:歴史人口学者・静岡県立大学学長 鬼頭宏先生 「1970年代の日本が目指した社会とは?」

鬼頭:実は1974年、人口問題審議会が当時の厚生大臣に対して出した人口白書において、日本は出生率をとにかく低くすべきだという内容を報告したんですね。それを受けて、これは国策と言ってもいいと思いますが、日本は人口が増えもしなければ減りもしない静止人口国を目指すべきだという構想を当時の政府が打ち出したんです。

これは1974年7月に実施された「第1回日本人口会議」において、増えすぎる人口を問題視し「子どもは二人まで」という宣言を出しことを指しています。この件については以前、こちらで書きました。

鬼頭先生曰く、あの当時の計画では2010年までに人口増加をストップさせるという計画で、実はその計画通りに2010年人口が減り始めたということです。

そう! 国の計画通りに進んでいるんですよ。


穿った見方をすれば、政府の少子化対策とか全然本気じゃなくて(政治家はバカだからわかんないかもしれないけど、官僚の意向としては)人口減少社会に向けて40年前からやってきたのかもしれないのです。

これが良いとか悪いとかの議論ではなく、過去政府において少子化推進の国策が行わけていたという事実をちゃんとみんな知っておくべきなんです。その上で、これから40-50年かけてやってくる高齢化や人口減少はその過渡期の話なのであって、今この時点でピーピーギャーギャー騒ぎ立てても意味はないということ。

もうひとつ今回の対談では、ぜひとも聞きたかった江戸時代の未婚化についてもお伺いしています。特に、現在の女性の社会進出によって未婚化が進んだように、かつて江戸時代も女性の労働機会の拡大によって未婚化が進んだという話がとても興味深いです。

以下、鬼頭先生の言葉。

18世紀、農家が糸をつむいだり布を売るといった手仕事による副業として産業が発展するんですね。そうした副業は主に女性が担っていたので、親も労働力として手放したくなくて、結婚年齢が遅れたのではないかと。それから江戸時代は乳児の死亡率も改善したので、結婚年齢を遅らせても大丈夫となり、その分を貴重な働き手として労働時間に充てようというということもあったと思う。そういう意味での社会進出だった。

当時は、本人の意思とは関係なく労働に駆り出されていたのすもしれませんが、仕事をすることと結婚して子育てをすることとは江戸時代であってもトレードオフの関係にあったのだなと感慨深いわけです。

とにかく今まで当たり前だと思っていたことを当たり前として守ろうとする生き方や考え方は、滅亡した恐竜と同様「適応力のない愚かな態度」なんです。

今ある状況を正確に把握して、どう適応すべきか。

私たちが考えるのはそのことだけだと思います。

ぜひご一読ください。



長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。