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「みんなと一緒」じゃないと異常扱いする同調圧力こそが異常。

日経COMEMOのコラム、4回目を公開しました。

孤独担当大臣なんて不要。孤独=悪という考え方こそ見直すべき。

以前も孤独担当大臣については書きましたが、それをさらに突き詰めて、日本が抱えているのは孤独ではなく孤立なのだという話をしています。

どうしても孤独というと「おっさん」に話が向きがちなんですが、おっさんの孤独はあまり気にしなくてもいいかな、というか、おっさんなんだから甘えないで自分でなんとかしろ、と。

なんか最近、おっさん=孤独という理屈でディスりたがる人が多い気がする。これたぶんおっさんをディスっても炎上とかしないからだろうな。かわいそうに、おっさんたち。

まあ、それはともかく…

孤独を一人暮らしとか見かけの状態が問題だととらえるのはやめるべきです。

それこそ本質を見誤るし、それはやがて見かけから発展したイジメや偏見・差別につながります。


「物理的孤独」より「心理的・社会的孤立感」の方が問題なんです。家族がいても、職場や学校にいても、そうした心理的孤立を抱えている人はたくさんいます。むしろ妻も子もいるけど家に居場所のない父親の方がよっぽど孤立感を味わっているんじゃないですか?いじめにあいながら、先生にも親にも救いを得られない子どもだって孤立感を感じているかもしれない。会社に属していながら、何のやりがいも与えられず腐っているサラリーマンも同様です。母子家庭で貧困にあえでいる母親だって心理的にも社会的にも孤立してます。

その中でも特に、子どもの孤立について我々大人はもっと真剣に考えるべきだと思います。

世界の中で、日本の子どもたちが感じてる孤独感・孤立感がどれくらいあるかご存知ですか?やや古いですが、2003年OECDの調査によれば、異常なくらい日本だけ突出しています。3割が孤独感を感じているわけです。

3割全員が孤児ではない。家族もいるし、学校も行っていることでしょう。

にも関わらず、こんなに多くの子どもたちが心理的に孤立感を抱えていることをもっと大人たちは知るべきだし、そこに向き合うべきです。

こういうのについての対策となると、国とか自治体はすぐ「子どもたちを一人にしない居場所を作るべきだ」という箱型発想になります。

果たしてそれで解決するでしょうか?

だったら、なんでそもそもこの子どもたちは孤独感を感じているの?

それこそ所属=安心という幻想にいまだに多くの人が取りつかれているからです。


かつては、どこかに所属していれば、それだけで安心だった社会でした。地域、家族、職場という共同体が安心を保障してくれていたわけです。しかし、もはや所属が安心を保障してくれる社会ではありません。むしろ家族がいるからこそ、学校や職場という集団の中にいるからこそ孤立感や疎外感を感じてしまう人も多い。

対応すべきなのは、状態として群れの中に押し込むことではなく、彼らの心の中にある空洞を埋めてあげることです。人によっては、一人の方が安心する子どもだっているんです。すべての子どもを同じ枠にはめるのではなく、個人を見てあげる姿勢が必要。

つまり、「みんなと仲良くしなさい」という押し付けではなく、「一人でも没頭できる何かを見つけられたらそれでいい」と認めてあげることなんじゃないかなあ。

とかく学校は「みんなと一緒」を絶対正義としがち。「みんなと一緒」になれない子どもは異常扱い。そんなわけはない。孤独でいたいことは病気じゃないし、個性や性格の話。

「みんなと一緒じゃなくてもいいんだよ」という承認が第一に必要なんです。


そんなことを考えて書いた記事です。

ぜひご一読ください→孤独担当大臣なんて不要。孤独=悪という考え方こそ見直すべき。

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。