「他人に迷惑をかけないように生きる」ってどうなの?
誰の力も頼らない。私は私の力だけで、経済的にも精神的にも自立して生きていくんだ!
…と考えて、ご自身の独身生活を理屈付けして、たくましく生きているソロ女も多い事と思います。実際、40歳以上のソロ男女を比較すると、男の方が未だに優柔不断にフラフラし、自身の独身者として身分を卑下し、「無理・無駄・面倒くさい」の3M言葉を口癖に、自己肯定感の低いままのパターンが多いのですが、それに対し、女の方は、こつこつ貯めた貯金を頭金にして、生涯住める家を購入していたり、自信を持って「ソロで生きる」人が多いです。
それはそれでとても素晴らしいことだと思います。
確かに、「ソロで生きる」にはまずお金が必要ですし、そうした意味で停職と安定した収入を得るという経済的自立は大事な事です。また、一人で生活することを寂しく感じることもなく、心の中に何か足りないという欠落感を思い煩うこともなく、自分なりの楽しみを見つけて、毎日を楽しく過ごせている精神的自立も兼ね備えていれば、もう鬼に金棒でしょう。
誰にも頼らないし、助けてもらおうなんて思わない。私は一人で大丈夫だ。一人で生きていける!
そう考えることは間違いではありません。
しかし、あまりに「自分の力だけで」ということにこだわりすぎてしまうと、本来の自立というものから離れてしまうのではないかとも思うわけです。果たして、自立というのはそういうものなんでしょうか?
誰の力も借りずに、自分の足で立って歩けることが本当の自立なんでしょうか?
そんなことを書きました。「結婚する未来があまり想像できない」というアラサーソロ女に向けて連載しているマイナビウーマンの記事です。ぜひご一読ください。
僕は、常々「ソロで生きる」には「人とつながる力」が必須であるということを言い続けています。文字面的には逆説的ですが、両者は互いに関連しているし、必要条件であり、十分条件になっています。
たとえば仕事。自分一人ですべてをこなせる仕事をしている人もいるでしょう。しかし、よくよく考えれば、その仕事は誰かの発注によるもので、納品した仕事も誰かのためになるものです。そもそも、よほど特殊な仕事でもない限り、誰とも接触しない仕事というものはありません。在宅勤務だ、テレワークだ、といっても基本的には誰かとやりとりが発生しているはずですから。
仕事だけではありません。毎日の食事はスーパー・コンビニや、飲食店に行けば食べられます。それは、「お金」を出せば買えます。
しかし、お店の店頭に食材が並ぶためには、店員さんだけではなく、トラックの運転手、卸売の人達、生産者の農家の方々。たくさんの人の手によってもたらされたものです。
食品や飲み物だけではありません。着る物も電車もガス水道電気も、会ったこともない見知らぬ人のおかけで、私たちの暮らしは成り立っています。
たとえ、恋人や友達がいない人でも、日々の暮らしの中では、誰かとつながっているし、誰かに依存しているということを意味します。
誰の力も頼らない。
そう考えたとしても、現実は、誰かの力を頼らないと、人とつながっていないと私たちは生きていけないのです。無人島でサバイブする場合以外は。
勘違いしないでいただきたいのは「人とつながる」ことは、リアルな友達を作ることだけではないということです。自分のために生きて構わない。自分のために生きることは、結果として誰かのためになるのだから。
私は人見知りだから…と誰かとコミュニケーションをとることを極度に怖れたりする人がいます。自分の思っていることを口に出したりしたら、相手が嫌な思いをするんじゃないかとびくびくしている人もいます。相手の迷惑になるようなことだと勝手に一人で解釈して、何もしないという人もいます。
勿論、人の迷惑なんかお構いなしに自分のわがままを貫きとおす人もいます。まったく空気を読まず、ずけずけと人の領域に土足であがりこんでくる輩もいます。
でも、そんなの、いろんな人間がいるってだけの話です。
どう最新の注意を払ったところで、生きていれば人間、他人に何かしら迷惑をかけるのです。同時に、誰かから迷惑をかけられものです。でも、迷惑と同じくらい恩恵も受けているのです。
そうした人と人との関係性の循環というものに気付けることこそが、自立というものなんじゃないかなと思います。
ちなみに、こちの記事内で、日本含む7カ国(日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン)の若者の意識調査で「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」という設問があります。7か国の中における日本人の若者の異質性がおもしろいです。
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