そろそろ考えよう。独身であることに対するソロハラについて。
秋田・大館市議会で起きたこの話。
67歳女性市議による48歳未婚男性市長に対するセクハラ発言だという声があがってネットでは話題になった。広義の意味でセクハラには違いないが、独身男女で居続けるソロ生活者に対するハラスメントという意味で別に考えた方がいいと僕は思っている。
独身や未婚で居続ける人に対して、「結婚しないの?」「結婚できない奴は半人前だ」と責め立てることは、ソロ・ハラスメントだと僕は訴えてきた。しかし、このソロハラに対して、本音では「そんな目くじら立てることでもないだろ」と思っている人たちが大勢いることが実は問題なのだ。
この女性市議もこう言っている。
「親心で子育ての重要性を訴えた。結婚は私的なことで、誤解を招く表現だったが、悪意はなく、戒告は納得いかない」
この弁解の是非はともかく、市議のいう「悪意はない」というのは本心だろう。
そう、この悪意のない「善意の結婚強要」こそが始末に負えない。
明治時代に西洋風の結婚制度が導入され、「LOVE」という概念が輸入された。戦後の高度経済成長期には皆婚といってもいい状態に日本はなった。あの時代、確かに「結婚することが当たり前」だった。
ところが今は違う。
2035年には、男の生涯未婚率は30%、女のそれも20%になると推測されている。人口の半分は独身者という時代が目の前に来る。現在でさえ40%以上は独身者であるという事実を一般の人は知らない。
高齢化、少子化はメディアでも盛んに取り沙汰されるものの、この未婚化、非婚化についてはなぜか真剣に議論されないし、あげく晩婚化・未婚化の対策として婚活施策を取り入れるという見当違いなことがまかり通っている。
結婚をせずに生きて行くという選択をする個人がないものとされている。
結婚しないのは経済的理由だ?非正規雇用の増加のせいだ?
ちゃんちゃらおかしい。だったら戦後の貧しい時代に収入の少ない男女が結婚したことの説明ができない。
結婚しないのは今の若者の恋愛離れだ?
いつまでも「いまどきの若者論」を言い続ける評論家ほど信用ならないものはない。今も昔も恋愛する若者(恋人のいる率)なんてせいぜい3割しかいなかった。昔からその比率は変わっていない。むしろ1970年代より今の方が「彼氏・彼女がいる率」はあがっているのを知っているんだろうか。片腹痛し。
未婚率の上昇は、見合い結婚が減ったからだ?
これは確かに一理ある。恋愛結婚数が増えたのではなく、見合い結婚数が減ったことで絶対値としての婚姻数は減り続けている。
結婚することが当たり前だった時代は、結婚することのお膳立てとして「お見合い」というシステムが用意されていた。愛とか恋だとか関係なしに、結婚という形にハマるもんだと皆が信じて疑わなかったからだ。
事実、高度経済成長期の企業というものは、社内結婚を促進していた節も見られる。短大や高卒女子の腰かけ入社はそもそも企業が求めていたことだ。
そういった時代に洗脳されたガラパゴスな人たちは、「すべての人間は結婚するものである」という概念から脱しきれない。「結婚できる人間こそ正常」だと決めつけている。だから、結婚しないでいつまでも1人でいる人たちは異常者扱いだ。
結婚を押しつける人を見ると、僕は新興宗教の勧誘者に見えることがある。僕が結婚しようがしまいが放っておいてくれ、と言いたいのだが彼らにはそうはしてくれない。自分の信じることこそが絶対に正しくて、それがわからない人は可哀想だ、救ってあげないといけない、そんな心理が働いているんだろう。この女性市議も「親心」だと言ってるのもまさにそれだ。
それが善意のおせっかいレベルに留まっているうちはまだいい。何度説得しても結婚しない、つまり入信しないことがわかると、この勧誘者は途端にその人間を異教徒扱いし始める。
このあたり西洋のキリスト教の影響が強く出ていると思うのは、キリスト教なのどの一神教は他の神を認めない。よって、異教徒は敵なのだ。存在していたら邪魔なのだ。「汝の隣人を愛せよ」というキリスト教の名のもとに、十字軍など数々の殺戮が繰り返されたことは歴史が証明している。
つまり、結婚をしない奴は敵であり、邪魔であり、駆逐しなければならない存在という潜在的意識が働いて、結果「結婚しない奴はクズだ」というレッテルを貼ることになる。会社の飲み会で既婚の先輩たちが未婚の後輩をいじり倒すなんて光景はよく見られる。
それだけならまだいい。「結婚してないから昇進させない」とか言い出し始めるとそれはもう理解不能だ。結婚と昇進と何の関係があるのか、という話だが、「子どもを生み育てたこともない未婚人間に部下が育てられるはずがない」という理屈なのだそうだ。
呆れ果てる。
仮に、百歩譲って「子どもを育てないと部下も育てられない」という屁理屈が真理だとしても、そういうオヤジたちは育児なんてまったくしてこなかったはずである。すべて奥さんに任せっぱなしだったはずなのに、何を今更という話だ。
結婚の有無がその人本人の評価に直結するこの話を「バカな話」と思うかもしれないが、事実そうだし、そう思うあなたの脳内にも同様の偏見が根強く残っているはずだ。
いい齢して結婚もできない奴は危ない奴だ、と。
この市議の発言も「そんな目くじらたてるほどのもんか」と内心思うオヤジやオバハンは結構いるはずである。
少子化や未婚化解決の方向性として婚活支援しか浮かばない政治家も官僚の頭の中も同じだと思う。結婚することが常識であり、結婚しない生き方は認められていない。
善意の結婚強要は別の形でも現れる。
「結婚して子どもを生み育てることが人としての務め」だとか「ずっと1人だと孤独死してしまうよ」だとか…・
もはや脅迫じゃないかと思う。
結婚しない男に対するこうした偏見や存在否定にも等しい扱いこそが、じわじわとやがて結婚できない男たち自身の自己肯定感をも消滅させる。
結婚できないオレはだめなやつなんだ…と。
結婚は義務じゃない。
子どもを持とうが持つまいが個人の自由だ。
国の少子化対策のために人間は子どもを生産するわけじゃない。
そんなことを叫んでも、ガラパゴスたちは結婚こそが正義だと譲らない。
他人の価値観を正義として押しつけられることほど辛いことはない。
そうした問題視されないソロハラを考えるべき時になったのではないか?