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「おごり」vs「おごられ」論争でわかる「思いやり意識」の有無

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」#26公開しました。

今回のテーマは、ネットでもよく話題になる「デートでは男がおごるのが当たり前か?」論争についてです。

女性は「男がおごるべき」とみんなが考えていると思いますか?

ソロもんラボによる2万人調査の結果、決してそうではないことがわかりました。むしろ「男がおごるべき」にとらわれているのは男の方なんです。

今回は30代のソロ女の座談会での生声をベースに、ソロもんラボの新キャラクター「ソロくん」と「もんちゃん」の漫画でお送りします。

続きは本文でどうぞ!→http://toyokeizai.net/articles/-/199927

好評のようでしたら漫画のシリーズ化も検討しますので、ぜひ東洋経済の記事の方にたくさんの「いいね」をお願いします。作画された"くるくる天国"さんも喜ぶと思います。よろしくお願いします!


まあ、でもこの「デートでは男がおごるべき論争」はいつも男女ともに意見がかみ合わないものです。

かつてトイアンナさんが、サイゼや吉野家にデートに誘われたら即効切るというツイートをして話題になりました。

フォロワーの多いこういう方のこういう意見が女性の大多数だと思うのは間違いです。別にトイアンナさんの価値観は否定しないし、こういう女性数多く見てきたし、「ご自由にどうぞ」なんですが、調査すると「絶対に男におごられたくない」という女性や「チェーンの居酒屋だろうがファミレスだろうが全然問題ない」という女性もいます。

どっちが正しいという問題じゃないんです。むしろ噛み合わなくて当然くらいに思っておけばいい。

ただし、そもそも素朴な疑問なんですが、「誰と行くか」が重要であって、「どこに行くか」とか「何を食べるか」ってそんなに重要なんですかね?高級なフランス料理が食べたいなら女子会でもいいのでは?自分で金を払いたくないというだけなら、そもそもそれってただ飯狙いでしかないからデートですらないとも思う。

案の定、ヤフーの記事のコメントは340件以上もきました。ほとんどが「おごり」「おごられ」についての反応です。


たとえば、こんなコメント。

わかってないね。
意識と感情が一致しないのは女性も同じ。座談会のような場で意見として割り勘を主張しても、それは彼女の「意識」。いざ実際に割り勘にされると胸の奥から急にモヤモヤした「感情」が湧き出てしまう。これが女心の難しいところです。それがわかっている男は「絶対に割り勘にしてください」と言われても絶対に真に受けない。女は「私は本当に払いたいんだけれど彼が払わせてくれないの♪」で満足。これで一見落着。

なかなかのポジティブ思考で素敵です。感情と意識が本音と建前のように違うというのもその通りでしょう。

しかし、この男性はそそもそもデート時に女性の方が「絶対に割り勘にしてください」という本質をご理解されているんでしょうか?「お前なんかにおごられて借りを作りたくないんだよ(2度と会うつもりないからな)」と考えているとは露も疑わない純粋な人なんでしょう。仮にこの方のいうように無理やりおごったとしても、それはそれとして、彼女はおごってもらったことすらすぐ忘れています。


こんなコメントもきました。

私も旦那と結婚するまでは割り勘派だったなー。
ラブホ代すら。。^^;
たぶん別れる時にこちら側がアッサリサッパリ別れたかったからだと思う。
化粧代や服代とか言う人いるけど、化粧や服ってあくまで自分好みで自己満の世界だし、男子も車出してくれたり送ってくれたりあるしね。ちなみに奢ってくれると分かってる人とゴハンする時は、その人が一人暮らしなら美味しいパン、実家暮らしなら母受け姉妹受けしそうなお菓子を「おもたせ」的な感じで用意してデートに行ってた。勘がハズレて奢ってくれなかった時は持って帰って自分で食べた。笑

いいですね。ほっこりします。

この方は既婚者です。こういう性格の方だから結婚できたとまで断言しませんが、「お互い様」という意識や「思いやり」意識があるかないかは重要です。


そんな中、とても主旨を理解してくれているコメントもきました。

コメント欄は奢りと割り勘の話で一杯ですが、記事の主旨は「男らしさ規範」が男性を息苦しくさせている、と言う事ですよね。男性が女性より上位であろうと無理をする必要はなく、男女が対等に相手を思いやる関係を築けば、お付き合いや結婚はもっと身近で手が届くものになる、ということですね。

その通りです。わかっていただきありがとうございます。でもいいんです、こうやってコメントが賑わうということ自体が、「問いとしての記事」の価値があるという証明ですから。

よくよくわかったのは、この「おごり」vs「おごられ」論争でわかるのは、それぞれの「他人に対する思いやり意識」の有無だったということ。



そのほかにも、今回突っ込みどころのあるコメント多いので、この「おごり」「おごられ」論争についてまた書くかもしれません。


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