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記事を書く

noteにアカウントをつくった経緯を忘れ、アカウントは覚えており定期的なお知らせメールのようなものを分け隔てなく送信してくれてるありがたさ。ブログ関連のそれらのメールは、いつもぶん投げた何かが落ちている地点のお知らせのようで( ゚д゚)ハッ!とするものでした。
メールアドレスの登録はよくある基本設定だし、自動送信の役割でもあるんだろうけど。そこに積まれる情報はさまざまで、やってみないと知ることのないブログごとの特色でもあったのかなと思えてきます。メールの文章や「あなたのアカウントの近況」を情報に組み込まれていると、アカウントを消さないでおきたくなります。

しかし、わたしはふてくされていた。
4年前、わたしは精神的に疲れてたようだ(´・ω・`)

そんなことは書けない。

そんなことだらけだから、今も。
久しぶりにログインして、あの日止めたものを少し前にも眺めていたけど、なんだかあの頃の私は泣いてたのが脳裏に浮かんだ。わたしは、過去の自分が悩みながらも自分なりに一生懸命になって書きなぐっていた文章を再びみて、4年後に思いがけず脱力して笑っちゃった自分で書いた記事があった(˶•ᴥ•˵)
その脱力で、なんとなくログインして過去の記事をしまって、アカウントを少し見直したりした。
記事を0にしてしまったから、新たにそれらを文章にできないとわずかにごねる自分を自分で落ち着かせたり、ただなんか書くことを考えたくなくなっていった自分を、「泣いてる自分」って思うのかもしれないと考えて、記事をひとつ書いてみようとした。

その前につぶやき機能を使ってみた。
意外なところに表示された。
それがたのしいと思えた。

見出しをつける書き方は、たぶんうまくならない。