見出し画像

ダンシングホームレスを鑑賞してきた

 先日、以前から気になっていたダンシングホームレスを観に行ってきました。ツイッター上でそのような映画があるということを知ったのですが、3月末から4月上旬ぐらいで上映が終わっている状況でした。

 8月後半あたりに追加上映のtweetが流れてきて、これは絶対に見に行かないと!と決意し当日を迎えました。

https://www.thedancinghomeless.com/


なぜ、この映画に興味を持ったのか

 私はもともと地方出身で就職を機に上京しました。それまでは新幹線などの乗り継ぎで利用するぐらいでしたから、実態は何も知りませんでした。

 上京し、池袋駅周辺を歩くと、地下通路の横に黒い荷物のようなものが至る所に置いてありました。
 しばらくしてその荷物が実は人が寝ている姿だったことに気づいたときは気分が悪くなるぐらいの衝撃でした。そして自分の生活とははかかわりのない、本当の荷物として認識した生活をるようになっていたと思います。

 バブルがはじけてしばらくたち、貧困についても知る機会が増えました。子供が生まれ、子育てをする中で、夫婦どちらかが事故に合って動けなくなったらどうしよう。会社が倒産したりしたらどうしよう、なんてことも考えるようになりました。

 いつ収入が途絶え、生活することが困難になるか誰にもわからない時代です。年を重ねるにつれてそのような現実を感じてきました。社会の現実を知ることで、貧困やホームレス、そういったことに向きあうこと、これらは実はわたくし事の問題なんだと思うようになりました。

シネマ


ダンシングホームレスとは

 この映画はドキュメンタリー映画です。監督である 三浦 渉さん がカメラマンをやっています。彼らに密着し2年間にわたって撮影をされているのです。

 この映画は「ホームレスとは何か」「どうあるべきか」などについては語っていません。全体を流れるテーマは「ありのままの自分をどのように表現するか」だと思いました。あくまでも芸術がテーマだと感じました。路上生活者数名で構成されるダンスグループを追ったドキュメンタリーです。そのことを踏まえて感想を述べたいと思います。

私がこの映画を見て感じたイメージは、
軽く温めた白湯に生姜糖と片栗粉を溶かしゆっくりと温まりながら飲む感じ
です。

その理由は最後に!


以降ネタバレです。ご注意を!


はじまり

 雨の中、一人の男性が創作ダンスを裸足で踊っていました。音楽があるわけでもなく、彼の足音、雨音だけが静寂の中に聞こえてくる。

 一見するだけでは、彼が何を表現しようとしているのかわからない。でも、その真剣なまなざしから目を外すことはできませんでした。

 そのまま別の男性、別の場所に次々と変わり。。。。

 これから何が繰り広げられるのか、不安定な気持ちのまま一人の男性の紹介に移ります。


ひとりひとりに焦点を

 ダンスグループの名前は「新人Hソケリッサ!」
メンバーへのインタビューの中からその人柄や生活の背景、考え方が見えてきます。

https://sokerissa.net/


 それぞれに独自の物語があり自分のことを語ってくれるのですが、全部は語りたくない。観ている側からすれば中途半端さのようなものを感じてしまいます。
 
  「勘弁してよ」

 その言葉に、立ち入ってはならない壁ともどかしさを感じ、でもそれが当然の在り方だと思いなおしました。


  「社会の底辺にいる」 

 そんな言葉が突き刺さります。もちろん、皆さん初めからホームレスだったわけではありません。会社でバリバリ仕事をしていた人、家族を持っていたり。 

 このダンスグループでは、これまで生きてきた背景も理由も問わない。いまの自分を、ありのまま自然に、ただ表現することだけを求めている。 そう感じました。


画像5

 アオキ裕キさん「新人Hソケリッサ!」を立ち上げた人で振付師です。彼は、ダンサーに対して様々な注文をすることはありません。注文した時点でそれは製作者の意識が込められてしまう。そう考えてのことです。

 サイトの紹介にある通り、「人に危害を加えない」以外ルールはありません。遅刻しようが休もうが自由。疲れた時は休む、気持ちが乗ってきたときには自由に表現する。表現したいのは、彼らの体を通して表現される生きた芸術なんだと思いました。


「社会のルールがいいですか?」

 どうして、いろいろ自由でいいんですか? 
 その質問に対してアオキさんはそう語ります。


  社会の決められたルールに乗って生きていける人もいる。
  そのルールに乗ることができない人もいる。
  両方とも今の社会を作っている構成員であることに違いはありません。
  社会のルールに乗らなくてもよい場所があってもいいじゃないか。
  そのなかでこそ自分らしさを表現できる。

私はアオキさんの短い言葉からそんなことを受け取りました。




画像1

生きる歓びを垣間見る

 大阪に遠征する場面がありました。その時は女性グループと一緒に表現をします。これまでとは比べ物にならないぐらい真剣な表情、生き生きと躍動するような表現を見ることができました。雑談の時の楽しそうな表情を見たとき、異性とのコラボレーションの相乗効果はすごいなぁと感動しました。

 メンバーが女性パートナーと真剣に取り組む姿に、「生きている」ことや「活力」のようなものを映像から感じとることができました。

みんな本当にうれしそうなんですもん!


 もちろんいい時ばかりではありません。生きていくために、次の人生を選択する場面も来ます。せっかく一緒にやってきているのに、という思いと、チャンスを生かして!という思いと、それはもう複雑で複雑で・・・


画像2


エンディング

 最後の場面は夜の新宿の公園。

 雨が降り続く中、一人が踊り始めます。彼が全身で感じているものが次々と表現されてきます。一人、また一人とダンサーが加わります。
 一見、無秩序で自分勝手な動きをしているように見えます。でも、これまで見てきた皆さんの物語を通して、ダンサー一人ひとりが「私はここにいる」という主張をし、その主張が全体を常に変化する生き物のように形作っているように感じました。

画像3

最後に

 この物語は全体を通して一つの問題提起を行っていると思います。「ホームレス」という集団があるわけではない。あくまでも様々な出来事を通して一人一人が「ホームレス状態」になっているんだということ。

 政治や行政は「ホームレス問題」、制度として考えることが多いと思います。私は、この映画を通して、その視点だけでは不足していると感じました。

 一人一人との対話を通して「ホームレス状態」となっていることに向きあって一緒に考えること、それが「人権を考える」ことでもあると思います。


  コロナ禍で、働ける場所や住む場所がなくなっている方が大勢いらっしゃいます。住宅支援の期限も12月までという話もあります。自助共助では立ち行かなくなることも目に見えています。

 国が、一人ひとり個を大切に考え、その個人は生きていること「人権」を意識して政治を行っていくことを強く願います。

 また、そのような政治になっていくように、私も可能な範囲で引き続き声を上げていきたいと思います。


軽く温めた白湯に生姜糖と片栗粉を溶かしゆっくりと温まりながら飲む感じ
について。

皆さん何となくわかってくれました?


 映画の初めは、おじさんたち変な踊りをしている! そんな印象も持ちました。正直、よくわからない、つかみどころが見つからない。そんな感じです。
 生姜糖は最初飲んだ時は味がよくわからなかったりするでしょう?同じようなイメージに感じたんです。

 ストーリーが進むにつれ、一人ひとりが表現するものを目の当たりにし、でも、はっきりと一つの形として見えてくるわけではない。ぼやけたままの全体の姿がゆっくりと確実に、自分の中に入り込んでくる。

 観終わったあとはまだ不完全で、一晩眠ったところでなにか世の中の見え方が少し違って見える。気持ちもなぜか暖かくなっている。

そんな様子が生姜糖を飲んだ後ほんのり温まることと重なりました。

皆さんがこの映画をみたらどんな風に感じるのか、ちょっと楽しみだったりしてます。

(残念ながらあとちょっとしか上映期間がありませんので、興味持たれた方はサイトのスケジュールを要チェックです!)


最後までお読みいただきましてありがとうございました。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?