「ショパン国際ピアノコンクール」〜見せるクラシックに魅せられて〜
世界で最も権威あるコンクールのひとつである”ショパン国際ピアノコンクール”が開催されている。この伝統的なコンクールには2005年からいち早くネットライブ配信を行うという実に革新的な一面もある。
今年は通常5年に1回の開催がパンデミックにより1年延期になった上に、角野隼斗、反田恭平、牛田智大と言った、クラシックに造詣が深くない層にも知名度があるピアニストの出場もあり、日本でも連日大いに盛り上がりを見せている。
角野隼斗は、84万人の登録者を持つYouTuber「かてぃん」としてクラシックのみならずジャズ、ポップス、J-POPなどを独自のアレンジで弾きこなし全世界に多くのファンを持つ。
ヨーロッパを拠点を置く反田恭平は、すでにコンサートチケットがなかなか取れないほどの超人気ピアニストであり、自らのオーケストラも率いる若きリーダー。「情熱大陸」出演で日本での知名度も高い。
牛田智大は、幼少期からその才能が注目され、多くのメディアで引っ張りダコとなり、わずか12歳でプロデビューを果たした神童である。
当然、3人ともそれぞれに名だたるコンクールの受賞歴があり、出場するだけでも狭き門のショパコンのステージにふさわしい実力と実績の持ち主である。
残念ながら、牛田は2次予選で、角野はセミファイナルで敗退となってしまったが、反田はついにファイナルへの切符を手にした。
(2021/10/17現在)
クラシック音楽は耳だけで楽しむべきなのか?
”音楽家たるものいい音さえ出していればいい”とは言い切れない時代だ。ロックやポップスターはもちろん、クラシックにおいてもこうして映像が世界中に発信される今、目で見ても楽しめるか否かは、今後のクラシック音楽業界の人気や繁栄を左右するに違いない。
美しいビジュアルとYouTuberとしての絶大な影響力を持つ角野隼斗の参戦により、ライブ配信同時視聴数はショパコン史上最高記録となったそうだ。
そのためか、彼に対し「ただのユーチューバーのくせに!」と、”人寄せパンダ”呼ばわりする中傷コメントも散見した。
しかし、演奏後のインタビューで角野は実に冷静にこう語った。
「クラシックの”カッコよさ”がもっと伝わってほしいと思うわけですよ。でも、クラシックの外にいる人たちはアカデミックなものだと思っている。(略)
名演に出会ったときのなんとも言い難いエクスタシー、とにかく”カッコいい!! ”良いとか悪いとか以上に。そう言うのを伝えたいとずっと思ってた。
(略)
それに(視聴者数で)自分が多少なりとも貢献できているであろうと言うことは、すごく嬉しい。」
「世界から注目されるために出場しているのだから、視聴者数が多いのは嬉しい」と反田も語っている。
まるでフェスのような野外クラシックコンサートに 毎年15,000人もの観客を動員するようなヨーロッパとは異なり、日本ではクラシックはまだまだ「難しい」「敷居が高い」「大人の音楽」「堅苦しい」「つまらない」などのイメージがあることは否めない。
↑画像はドイツ「ヴァルトビューネ野外コンサート」の様子
そこに彼らミレニアム世代が風穴を開けようと奮闘している。
人は「音」だけを聴いているのではない。演奏者の容姿、演奏時の姿勢や表情、衣装、佇まい、オーラ、、、。つまり視覚情報は否が応でも聴覚と混ざり合う。
決して美男美女、豪華な衣装、俳優のような演技も要求されると言っているわけではない。
だが、「音楽家の外見をとやかく言うな!」「クラシック奏者たる者の見た目はこうあるべき」と言う考え方自体が、音楽やその演奏者に対するある種の偏見であり時代錯誤ではないだろうか。
若き音楽家たちのビジュアル戦略
例えば、ヘアスタイルひとつとっても、印象は大きく変わる。艶やかなオールバックの髪を後ろで束ねた反田恭平はポーランドでは「サムライ」と形容されていると言う。
これに「イメージ戦略通りで、ホントみんな見事に引っかかってくれて」と反田は笑う。
「名前を覚えてもらう必要なんかない。演奏か容姿で覚えて貰えばいいから」
多くのコンテスタントがタキシードなどの正装で挑む中、恰幅のいい体型に黒シャツ一枚と言う衣装をチョイスしているのも、彼のイメージ戦略の一環だろう。
さらに、口髭や黒フチ眼鏡なども相まって、27歳とは思えない知的で落ち着きのある風格を醸し出しており、それは彼の緻密かつ豊潤な演奏スタイルと的確にマッチしている。
角野もまた、自身の演奏の魅力を増幅する武器のひとつとして、確信的に見た目をショパンに寄せてきている。
髪の分け目は逆だが顔立ちと雰囲気がかなり似ている。この効果は絶大で「彼はショパンの生まれ変わりだ」「ショパンが憑依している」などのコメントが国内外から大量に寄せられ大注目を浴びた。
女性ピアニストの華麗なるファッション
女性コンテスタントのドレスやヘアメイクもまた然りだ。ファイナルに進出した3人も三者三様に、ビジュアル面でも抜かりない。
豊かなボディとクッキリとした目鼻立ちにに負けない華やかなカラードレスが似合うLeonora Armellini(イタリア)
お尻まで伸びる美しい金髪がトレードマークのEva Gevorgyan(ロシア/アルメニア)は、ブラックやネイビーのシンプルなドレスでそのニンフのよな魔性を香らせる。
ウェットスタイリングのショートボブというスタイリッシュなヘアに、シルバーのドレスを纏った小林愛美(日本)。彼女の演奏のようにスマートでアクティブなイマドキの女性像そのものだ。
溢れ出るパフォーマンスの引力
こうしたルックス面での表現に加え、演奏中の姿勢や表情もまた奏でる音の印象を左右する。音に酔いしれるような恍惚の表情や、時として漏れてしまう吐息、眉間や口元に現れる喜びや悲しみの感情、全身で刻むリズム…。
意図的なのかはどうかはわからないが、こうした表現も目で見る音楽の醍醐味でもある。大袈裟すぎる表情を「顔芸」「顔でピアノを弾く」などと揶揄する輩もいるが、それはあくまでも好みであり、芸術性の優劣や正否を云々する問題ではない。
例えば、スペインのマルティン・ガルシア・ガルシア。そのテディベアのような愛らしい姿で、全身を左右に揺らしまん丸な目をキョロキョロさせて本当に嬉しそう演奏する。そのピュアな姿になぜか泣きそうになってしまう。
そして、ピアノを弾く喜びがそのまま鳴っているような音に合わせて声に出して歌ってしまうのだ。
こんなピアニストがファイナルに残っていると言う事実だけで、ショパンコンクールが多様性と自由の時代を的確に捉えていることが窺える。
映像だからこそ伝わる魅力
コンサートホールで鑑賞できるに越したことはないが。演奏者の手元や細かい表情まで見ることができるのは映像ならではの楽しみだ。
今回の配信では少なくとも5台ほどのカメラが入っているようだが、カメラマンはおろかレンズやクレーンなどの映り込みも全くない。そのカメラワークは滑らか且つ”見せ所”を逃さず捉えており、ディレクターのスイッチングもお見事である。
特に背筋がゾクっとするほどの畏怖を覚えたのは、セミファイナルでの角野隼斗の葬送行進曲の映像だ。この時の角野は明らかに”イっちゃってる”状態で、何か霊的なものに心身を支配されているように見えた。
どこにも焦点の合っていない角野の目に向かってゆっくりとズームしていくレンズ。実像としての手元から鍵盤蓋に映る虚像に向かってピントが合っていく。怯えるように小刻みに震える顔に切り替わり、そこからまた一気に手元のドアップに戻る。
生中継で即興的に行っている編集とは思えないMVのような完成度だ。
音楽への入り口はどこからでもいい
古典芸術を継承していくためには常に次世代を担う者たちの情熱と革新的な挑戦が必要だ。当然ながらファンを増やしていかなければ、やがて流れは止まり廃れていく。
その入り口が「音」ではなくビジュアルやパフォーマンスでもいいと思う。
そもそも、元を辿れば、ショパンだって天才少年として貴族やマスコミにモテはやされてスターになり、フランツ・リストだってそのセクシーなイケメンっぷりに貴婦人たちがキャーキャーと熱狂していたのだからw
エセクラシックファン上等である。
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角野隼斗についての過去記事はこちら↓