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米津玄師の新譜で色気を放つ「マルゲリータ」と「YELLOW GHOST」の相対湿度

以前の記事にも書いたが米津玄師の作品には独特の色気を感じる曲もあるが、暗にセックスを歌っているのは「MAD HEAD LOVE」くらいしかなかったように思う。

だが、ニューアルバムには性愛をテーマとした「YELLOW GHOST」と、結果として性愛的になった「マルゲリータ」の2曲が収録されている。

性愛について歌おうと、そこを決め切ってから作り始めた曲です

BillboardJapanインタビューより「YELLOW GHOST」について

男女が歌っているという構造と、かつ官能的でちょっと性愛的なニュアンスが含まれている曲ではある

BillboardJapanインタビューより「マルゲリータ」について


俗っぽく言えば2曲とも「エロい曲」なわけだが体感湿度がまるで違う。

下品ついでに2曲それぞれの男女の関係性を一言でいうならば

「マルゲリータ」はセフレ
「YELLOW GHOST」は不倫

ではないかと思っている。


満腹なおもて往生を遂ぐ、いわんや腹ペコをや

二人でファミレスとかそこら辺に座りながら「毎日つまんねえよな」とか言ってだらだらとだべってるような感じ、お互いに向き合っているんじゃなくて、同じほうを向いているようなイメージで作りましたね。

BillboardJapanインタビューより

このインタビューを読む前から、マルゲリータに登場する男女は恋人同士ではないんだろうなと思っていた。2人は自分の気分を一方的に歌ってるだけで、互いへの視線や愛情がまるで感じられなかったからだ。友達でさえないんじゃ?とも思った。

つまらない夜に刺激に飢えた腹ペコのエピキュリアンが2人でドライブしている。空腹を満たせればなんでもいい。ファミレスの冷凍ピザでもなんでもいい。”あれもこれも今すぐ食べたい”

米津の媚態めいた柔らかな声と対象的に、”はすっぱ”でコケティッシュなアイナ・ジ・エンドの低い声が”甘くエグい夜にいざなう”

アイナといえば、危うい儚さと狂気を帯びた悲鳴のような歌声を併せ持つ類稀なシンガーだが、この曲ではそのどちらでもない新たな魅力を放出している。

野田洋次郎とデュエットした「PLACEBO」を思わせるキラキラしたエレクトロポップ調のアレンジも刹那的で軽薄でエロいし、”XOXO”の悪戯っぽい掛け合いもチャラい。

1回だけなら思いっきりぶち抜きドキドキしたのに、2回となるともう飽き飽きして早く寝たい。

ワンタイムぶち抜き トゥータイムおやすみ
あれもこれも今すぐ食べたい

ワンタイムドキドキ トゥータイム飽き飽き
どれもこれもただ物足りない

マルゲリータ歌詞より

ちなみにトゥータイム(two-time)には浮気をする、二股をかけると言う意味もある。この2人にはそれぞれに退屈な恋人がいるのかもしれない。

ジャンクフードで胃袋満たし、後腐れのないドライな関係だからこそ大胆に楽しめる夜もある。

苦しいのをもっと頂戴
頭ん中ノックするくらい
確信を揺るがす天変地異みたいに

激しいのをもっと頂戴
突き抜けてクラっとしちゃいたい
天にまします蛇みたいに

マルゲリータ歌詞より

この曲に対し米津はこう語っている。

カラッとした危なさというか、あるいは倫理的、道徳的にもとるような何かが、もしかしたらそこにあるかもしれない。(中略)推奨するわけではないけれど、同時にどうしようもなさみたいなものがそこにあるっていう感じを出したかった。そのためには、自分としてはカラッとした感じというか、ダンスナンバーみたいな形で表現するのが一番いいんじゃないかなと思いました。

ナタリーインタビューより

2人はザラザラと渇いたままの心をチーズのように溶かしたくて、何もかも滅茶苦茶にする熱い刺激を貪っているようにも思える。

この曲を"あれも欲しい、これも欲しい、全て欲しい、ただ虚しい"、”全部滅茶苦茶にしたい、”と歌う「KICK BACK」の次に配置したアルバムの曲順も痺れる。もしかしたら彼らの根っこの欲望は同じなのかもしれない。

ちなみに、曲中に出てくるPJハーヴェイとはイギリスの女性アーティスト。かなりカッコいいので気になる方はこの辺から聴いてみては?

エロティシズムで湿ったYELLOW GHOST

「マルゲリータ」の湿度が30%だとすると、「YELLOW GHOST」は70%くらいか?ムンムンとした蒸し暑さではなく冷たく濡れている。

以前「PaleBlue」を制作するにあたって真っ向からラブソングに向き合ったと言う米津。

ラブソングというものに今一度、深く向き合ってみたいと考えていて。(中略)うーん、恋愛って何なんだろうと凄く悩みました。

VOUGEインタビューより

同様に”性愛について歌おうということを決め込んだ”「YELLOW GHOST」を制作するにあたって「性愛とは何なんだろう?」と深く考えたのではないだろうか?

性愛と言う普遍的で大きなテーマに大真面目に取り組んだ痕跡がインタビューにも散見する。

例えば…

バタイユが性愛における一部分を「小さな死」と言っていたらしいんですけれど、そういう意味合いにおいても、ものすごく死に近いものであるっていう感じがする

ナタリーインタビューより

フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの言葉「小さな死」とは簡単に言えば”エクスタシー”のことだ。

性の快楽は、破滅的な浪費にたいへん近い ので、私たちはこの快楽の絶頂を「小さな死」と呼んでいるほどだ

ジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」酒井健訳より

米津はバタイユの「エロティシズム」を読んだのかもしれない。この本は三島由紀夫にも多大な影響を与えており、その思想は三島の短編「憂国」、ひいてはあの衝撃的な切腹死にまで繋がっている。

僕の内面には、美、エロティシズム、死というものが一本の線をなしている

中央公論 三島由紀夫 最後の言葉より

バタイユの著作から本稿に関連しそうなところだけを乱暴にピックアップすると、「禁止によって欲望が昂まる」「禁止を違犯することで興奮する」、さらに「エロティシズムの真実は裏切り」「美しいものを穢す」などインモラルな暴力性、禁制的なところにエロティシズムが宿ると説いている。

世俗的に言えば「禁じられた関係や状況ほど燃える」というやつだ。

禁制的な性欲というのは、死を見つめるということをよりブーストさせる感じがある。仮にそれが許されざる行為であったり、2人の性愛が罪と直結するような愛であれば、よりそうなる感じがある。

ナタリーインタビューより

これを踏まえて「YELLOW GHOST」の歌詞を読み解くと2人は不倫関係ではないかと想像できる。

性愛って、どうしても禁制的な側面があると思うんですね。日本においても、契約を交わした伴侶とだけに許された行為であるし

ナタリーインタビューより

性的にインモラルな関係は不倫に限らず、近親相姦などもあり得るが….

生まれた瞬間から愛し合うことが罪だという風に決定づけられているような場合だってある

BillboardJapanインタビューより

実の親子であるセルジュ・ゲーンズブールとシャルロットが歌った「Lemon Incest」などはある意味インモラルなエロティシズムが行き着く極北かもしれない。


話を戻すと、「YELLOW GHOST」は不倫関係にある男女の最後の夜を描いているのではないだろうか?2人の生々しい体温や手触り、匂いまで感じられる。

*以下、””内太字はYELLOW GHOSTの歌詞

”思えばはじめから決まってたんだろうな”と罪深い2人の関係が永遠に続かないことをわかっていながら見て見ぬふりをしてきた男。別れを切り出した女に”それは置いていけな、君が思うより気にってんだ”と言う。”それ”とは彼女が持ってきたイエローゴースト(観葉植物の1種)。

ほとんど水やりの必要もない植物だが命ある限りそれは”時間が過ぎたら忘れてしまうような軽いもの”ではない。

”乾ききっていない首の匂い”からイメージするのは、愛し合った直後の汗ばんだ肌。”まだ触らないで、息をしないで”は、今まさに女が”小さな死”の最中にいることを物語っているのではないだろうか?

宙を舞い海に落ちていったあの花
いつまでも消えない腕の痣
死体みたいに重ねた僕らの体

YELLOW GHOST 歌詞

”この夜だけ離れないでいて”と女の上にぐったりと重なる男が囁く。

肋の浮いた君の肌を撫でながら
最後まで確かめた
僕ら生きてると
エイメン
どうして僕らを認めなかったの?
犠牲も罪も僕らを表す美しい歌なのに

YELLOW GHOST 歌詞

小さな死、死に繋がってゆくエロティシズム。だけど”まだ生き足りない”、”僕ら生きてる”と未練を隠しきれない。

アダムの肋から生まれたエヴァ。その隆起する肋骨を愛撫しながら2人の関係を許さなかった神を恨み、”犠牲も罪も僕らを表す美しい歌なのに”と嘆く。

彼の元には刺々しく触手を広げるイエローゴーストだけが残る。その花言葉は「君にまた会いたい」だ。

切なくも美しい官能小説みたいな歌詞なのに曲調は軽やかで、サウンドと歌声はしっとりと潤っている。

ふわふわと漂うようなイントロが”宙を舞い海に落ちていったあの花”みたいに頼りなげで、ポタポタと水滴が落ちるような音が遠くに聞こえる。AメロからBメロはぼんやりと霞んでいて聴覚よりも視覚を覆ってくる。

サビで弾ける鮮やかな色彩、涙のような雫を湛えた花びらが一斉に舞い上がっていくようだ。

流麗なピアノが煌めく2コーラス目。まるで語りかけるような声が汗ばんだ肌を滑らかに撫で、ラストのCメロにかぶるコーラスが切実に”離れないでいて”と訴えてくる。

*性愛というものにがっぷり四つに組み合った結果が、こんなにも優しく悲しげにやがて死にゆく生命を称える歌になるなんて….まさにバタイユの言葉そのものではないか?
*Spotify Liner Voice+より

エロティシズムについてはそれが死に至る生の称揚だということができる

ジョルジュ・バタイユ 澁澤龍彦訳「エロティシズム」序章より

性愛も本能的な欲望も死への導線であると同時に”生”の証でもある。生まれて生きて死んでいく、その一連の営み中で輝く瞬間をこの2曲は見事に射抜いているのかもしれない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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他にもインタビューではマルティン・ブーハーの「我と汝」にも触れているので興味のある方はこちらを参照のこと

米津玄師を深堀りした濃厚マガジンはこちらです。↓

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