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米津玄師、祝福の連鎖が生み出した「M八七」を考察
米津玄師の作る応援歌は優しい。
手を引っ張って鼓舞するのではなく、大声でエールを送るわけでもない。誰かの心で燻っている火種に、酸素を送り込むようにそっと息を吹きかける。
NHK2020応援ソングとして制作された「パプリカ(foorin)」も「カイト(嵐)」も、そこに込められた思いは”応援”というよりも”祝福”だった。
この”祝福”とは「幸福を祝う」という一般的な意味よりも「神からの恵み、赦し、肯定」とキリスト教的に解釈した方がわかりやすい。「M八七」もこうした”祝福の連鎖”をテーマとしている。
「パプリカ」や「ウルトラマン」で体験したことは、忘れてしまったとしても無くなったのではなく、人生の土台となり人間性になっていく。多くの祝福が折り重なって今の自分があるし、これからもいくらでもあるだろう。祝福を受け、与え、その対話で新しい何かを生み出していくのが、この主題歌に一番似つかわしいんじゃないかと思った。
「M八七」に見え隠れする祝福の軌跡
初めて聴いた時、まるでセルフオマージュのように曲調、メロディ、歌詞に、米津自身が受け取ってきた祝福の足跡が点在しているように感じた。
クラシカルで壮大なアレンジが印象的な全体像は、歌声も含めて「馬と鹿」、2番Aメロに「打上花火」が宿り、サビ前のメロディはまんま「カイト」だ。”似ちゃった”ではなく、かと言って意識的に”寄せた”のでもなく、米津の血肉となった”祝福”が、主題への最適解として新たな音楽を生み出したのだと思う。
冒頭の歌詞は、子供の頃の自分と大人になった自分との対話から生まれた曲だという”neighbourhood”の歌詞「生きられないなってトイレの鏡の前で泣いてた」や、”ピースサイン ”の「不甲斐なくて泣いた日の夜にただ強くなりたいと願ってた」を彷彿とさせる。
遥か空の星がひどく輝いて見えたから
僕は震えながらその光を追いかけた
割れた鏡の中いつかの自分を見つめていた
強くなりたかった 何もかもに憧れていた
「M八七」も、子供の頃の自分と大人になった自分との対話という構造で読み解くと、より”祝福の連鎖”が鮮明になる。
米津は”祝福”や”愛”を”花”に例えることが多い。下の歌詞は、「記憶から消えゆくことでも、いつの日かどこかで君を救うかもしれない」と一瞬一瞬の大切さを伝えているように聞こえる。
いまに枯れる花が最後に僕へと語りかけた
「姿見えなくとも 遥か先で見守っている」と
「痛みを知るただ1人であれ」の意味
ただ、人生は祝福ばかりではない。むしろ、悲しいこと、深く傷つき苦しむことの方が多いかもしれない。
昨今の過剰なほどに正義を振りかざす風潮、格差も悪意も容赦なく可視化されるSNS。心のガードを固めなければヤられてしまう。特に若い世代は”感情が揺さぶられること”を極力避けようとする傾向が強いらしい。
それでも残念ながら、肉体が免疫力を得るのと同様に心も傷つくことでしか強化されない。「涙の数だけ強くなれるよ*」は普遍的な真実だと思う。
*1995年の大ヒット曲:岡本真夜「Tomorrow」より
そもそも「痛み」は致命傷を避けるための重要な防衛反応だ。以前の記事でも書いたように、米津の歌う「痛み」も決してネガティブではない。
「M八七」でも「打ちひしがれ、心根が削れ、孤独を知ったその時から物語が始まる」と歌っている。
そうだ 君は打ちひしがれて 削れていく心根
物語の始まりは 微かな寂しさ
「万有引力とはひき合う孤独の力である」(谷川俊太郎作「二十億光年の孤独」より)からの引用だと思われる「引き合う孤独の力」は、「求め合える命」の源であり、「馬と鹿」の歌詞にもあった「誰にも奪えない魂」のことではないだろうか?
君の手が触れたそれは引き合う孤独の力なら
誰がどうして奪えるものか
求めあえる命果てるまで 輝く星は言う
ではサビの「それは強く応えてくれるのだ」の”それ”とは何か?
もし映画を観ていたら”ウルトラマン”だと思うのかもしれない。だが、現時点で楽曲単体を考察するならば、やはり「自分自身が子供の頃から受けてきた祝福と数多の痛み」なのだと思う。
君が望むなら
それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな
痛みを知るただ一人であれ
微かに笑え あの星のように
痛みを知るただ一人であれ
当たり前だが、辛い時にウルトラマンが助けに来てくれるわけではない。結局は自分が戦うしかないし、痛んだ時に最後に傷を癒すのは己の自然治癒力だ。
ラスサビではその現実を踏まえ、「君が望むなら」と主体性を確認した上で、「すべてに恐れるな」「痛みを知るただ1人であれ」「微かに笑え」と命令形3連発*で煽っている。
*文末に命令形歌詞一覧あり
つまり「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!」と言っている。エヴァンゲリオンか?
今まで「逃げていい(カイト)」「逃げだそうぜ(undercover)」「逃げ出して(WoodenDoll)」と逃避を許容し推奨してきた米津が、今こう歌うことに矛盾はない。なぜなら、戦う相手は他者ではなく自分自身だからだ。
君はただ見つめる 未来を想いながら
僕らは進む 何も知らずに彼方のほうへ
そして、その痛みを知るただ1人もまた自分。過去の自分と今の自分が手を取り合って先の見えない未来へと進んでいく光景が見える。
孤独を胸に戦い、痛みを知り、誰かを助ける「強く優しいヒーロー」を自分の中に育てること。それは米津にとっても理想の姿なのかもしれない。ウルトラマンをデザインした成田享は「本当に強い人間はね、戦う時、微かに笑うと思うんですよ」と」語った。
すごい孤独な戦いを強いられる。それでもなお強く優しく人間っていうものを労り慈しむ心を忘れないっていうのは、ただただひたすら美しい。できるならばそういう風に生きていきたい。
冒頭に「米津玄師の作る応援歌は優しい」と書いた。その優しさは強さであり、厳しさでもある。ウルトラマンはいない。結局「あとは君次第(ホープランド)」だ。
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<米津玄師の命令形歌詞一覧>
*「○○してくれ」のような依頼型の命令文は除く>
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