米津玄師が求めた生きることへの許し
「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第22章>
*プロローグと第1章〜21章は下記マガジンでご覧ください。↓
「人は何のために生きているのか?」と考えたことはあるが「自分がこの世に生きていていいのか?」と言う疑問が一瞬でも頭をよぎったことがない。それはとても幸せなことなのだろう。
しかし、こんな無邪気でシンプルな思考ではない人もこの世には大勢いる。米津玄師もその1人だった。彼は幼い頃からずっと、自分の生への容認と肯定を希求してきた。
「自分が今生きることは許されていないのではないか?」
「子供の頃、漠然と許されてないんじゃないかって思うことがあった」
「はたして自分は許されているのかいないのか」
「誰かに許されたい、誰かに肯定してもらいたい、定義してもらいたい」
こんな風に思い悩みながらも、音楽家としての成功を手にした米津。彼は今、”許され”、”肯定されている”と言う安堵に包まれているのだろうか?
似て非なる「許し」と「赦し」
米津玄師は「ゆるし」(活用形含む)と言う言葉を8曲で使用している。
愛していたいこと 愛されたいこと
棄てられないまま 赦しを請う
愛していたいこと 愛されたいこと
望んで生きることを 許してほしい
(恋と病熱)
上記、”恋と病熱”に出てくる「ゆるし」には2種類の漢字が使い分けられている。厳密には意味が違うからだ。
「赦し」とは”すでに犯してしまった罪・過失を咎めないこと”=pardon。「許し」とは”(今後)の許可”=permissionを意味する。
「愛していたいこと、愛されたいこと」は、過去からずっと抱えている想いであると同時に、これからも許してほしい未来であることをがわかる。
誰かが歪であることを 誰もが許せない場所で
君は今どこにも行けないで 息を殺していたんでしょう
(ホープランド )
「許し」に焦点を合わせて”ホープランド ”の歌詞を読むと、この”君”が中高生だった頃の米津のように思えてくる。彼自身が虐められた体験談は、数多のインタビューのどこにもない。
だが「僕らは初めましてじゃない」と歌う”ホープランド”には、「自分のことを愛せぬまま、何も選べないまま、逃げ出すことさえできない君 」への深い理解がある。
許したいんだ 消せぬ過去から這い出すような
そんなそんな痛みを
(リビングデッドユース)
僕がいなくなるとき君の心に傷がつくよう
そう願ってしまう脆弱をひとつだけ許して欲しい
(トイパトリオット)
怒りが満ちる 黒い炎を纏って どうか
わたしの この心を 赦してくれやしないか
(amen)
「痛み」を「脆弱」を「心」を許して(赦して)と歌ってきた米津。2015年のライブでは観客に向かいこう言い放つ。
「生きてていいことって、あんまりないよね」
「ある?」
オーディエンスの答えはひとつだった。
「今!」
米津玄師はこうして”自分が許されていると言う実感”を少しずつ獲得してきたのかもしれない。
2016年のブログには「オトンオカンに友達に恋人に環境に生活に社会に小さく小さく許されながら積み重なってできた自分をまた許してやりたい」と記し、2019年の紅白歌合戦では「ちょっとずつちょっとずつ許されながら『お前はここで生きていていてもいいんだ』と、許されながら生きてきたのが今の自分」だと語った。
米津玄師を生かしているもの
生きることへの許しを求め続けてきた米津に、1枚ずつ許可証を与えてきたのが、他でもない彼自身の「音楽」であったことは、最新のインタビューを読めば明確だ。
「自分にとって音楽を作ると言うことは
この世で生きていくための確認作業みたいな意味合いが強い」
「自分が作り出す音楽そのものに救われているって言うのが
一番大きいかもしれないですね。」
(ハイスノバエティ06号)
2020年には「ここ数年、人に生かされていると思うことがすごく増えた」と言い、「自分の音楽を聴いてくれる人が自分のパーソナルスペースに大きな部分を占めるようになっていった」と続けた。
つまり、米津玄師とは”自作の音楽”によってのみ生きることができる人間で、その音楽は”聴いてくれる人”がいることで血が通った有機物となり、米津の命を繋いでいる。そして、聴く人もまた彼の歌を糧とし、サウンドが、歌詞が、声がその間をイキイキと循環している。
まるで自然界と同じ命の連鎖のようだ。
そこには心のみならず、肉体的な生死に関わるほどのリアルな重量がある。
苛烈な自死衝動みたいなのは
ないって言ったら嘘になるし
あるにはある
(ハイスノバイエティ01より)
ほんの2年半前の米津の言葉に胸がつまる。音楽だけが彼の命をギリギリこの世につなぎとめているかのようだ。
ビジネス的にも世への影響力でも重圧を背負い、許しを求めて音楽を産み続けることは、傍から見れば懲罰のような苦行に映るかもしれない。
「ものすごく背負ってるよね。いろんなことを自分に科してるよね」
「すごくしんどい生き方をしている」
友人にもこう言われたことがあるらしいが、それはもう米津玄師という天才の”業”なのだろう。
「音楽に生気を吸い取られていく感覚が離れない」と言いながら「楽しいんだよ音楽って。やめらんないんだよどうしても」とブログに綴っているように。
「音楽に隷属しながら生きていくことを選んだ人間だから。何をやるにしても全部が音楽に収束されていってる。人生のすべてが。」
(ハイスノバイエティ06)
「生きられないなってトイレの鏡の前で泣いてた(Neighbourhood)」か弱い心が、「お願い ママ パパ この世に生まれたその意味を教えて欲しいの、わたしに」(amen)と目を伏せていた魂が「今、歌うべきは生きていくことへの肯定」だと、凛と前を向いている。
米津玄師は自らが許されるための音楽を超え、誰かを許し、何かを肯定する音楽を届け続けるのだろう。神やカリスマや仙人ではなく、生身の人間として”聴いてくれる人”たちと、その命を支え合いながら。
<追記>
”生きる”という言葉は活用形を含め35曲で述べ50回使用されていた。”死”関連ワードの3.6倍の出現率である。
よろしかったら是非、スキ&シェアをよろしくお願いします。
*この連載は不定期です。他カテゴリーの記事を合間にアップすることもあります。歌詞分析だけじゃない、米津玄師を深堀りした全記事掲載の濃厚マガジンはこちらです。↓
*Twitter、noteからのシェアは大歓迎ですが、記事の無断転載はご遠慮ください。
*インスタグラムアカウント @puyotabi
*Twitterアカウント @puyoko29
<Appendix>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?