「ウィッシュ」の感想・考察(約2420字)
先に、個人的にウィッシュは残念だったかなと。
ネガティブな感想。これはこれで。書き殴りの乱文です。ネタバレありです。
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鑑賞直後の感想は「「ふーん」って思って見てたら、いつの間にかクライマックスになってた」。
結局はポリコレ的思考からか、サブキャラを増やしてそれぞれにそれなりの個性を出して、それぞれを平等に活躍させようとするから全体の情報が広く浅くなって...なんかトイストーリー4と似た感想だった。
まず、見た目もキャラも全然違う「友達」たちがなんで共闘するんだろか?シンデレラとネズミが共闘するのは「人間に邪魔者扱いされてる追いやられた存在」とか共通点あるから理解することができたのだが、性格もそれぞれ違うだろうあのメンバーが仲良くしてるのが違和感を覚える。仲良くなった経緯も分からんし。例えばアーシャの母親がケーキ焼いたりするくだりがあるので、お城でクッキー焼いてるのも母親にして...とか、秘密の部屋に案内する役目も女王陛下でも出来そうだし、アーシャの友達は何人か断捨離できそう。わざわざ7人の小人オマージュで7人それぞれに個性をつけて描いたことで、各キャラの印象は逆に薄くなってしまっているのではないか。色んな仲間がいれば国王にだって刃向かえるなんて事にしたかったんだろうな。(白雪姫の場合はほとんど「7人の小人」というワードを知っている上で見る事が多いと思うが、そうでなくても作中ではベッドに刻まれた名前を1つづつ丁寧に読むシーンがあったり、同じ「感情」から取ったわかりやすい名前が付けられていたり、7人中6人が帽子に髭 もう人も似たような帽子を被っているので見た目でも7人組という認識ができるけれど、今回の7人は共通点が見つからなすぎて一括りに認識する事が出来なかった。)
それなのにバレンティノなんて後半、「ヤギじゃないと出来ないこと」はなんもしてないからヤギという個性が全く活かされてないんじゃないか?クッキーのくだりはパークで売ることだけを考えて入れたお金目的な気がするし。
また、最後の大合唱のシーンでおじいちゃんが先導を切って歌うことで、おじいちゃんの願いが叶ったって流れのパターンの方がキレイじゃね?そうするとアーシャの存在意味が薄くなりすぎるか?でもおじいちゃんの願いを叶えたのは国王じゃなくてアーシャが叶えた事になるからそれも最後のくだりに繋がるからありかと。でも、「願いは自分で叶える」みたいなテーマ無かったっけ?アーシャが魔法を使えるようになると他人の願いを叶える国王と同じ立場になるじゃんか。で、成長して今度はアーシャが国王みたいに私利私欲で国を治めて…という世界は繰り返しで出来ている事を伝えたかったのかな。
カメラワークの乏しさもやばかったと思う。キャラのバストアップが多く、ほかのシーンも歩いたり走ってるシーンと引きのロサス王国ぐらいしか印象に残ってない。
今回、誰かの目線になったカメラシーンはほぼなかったんじゃないか?例えばトイストーリー3のダンボールの中から外を見たシーンだったり、ラプンツェルで言えば歌の途中にラプンツェルが見てるただの森の風景が入ってたりするけど。映像全体を通して動く漫画のコマ割りを順に追ってるような感覚だったかな。平面背景にCGキャラを載せるという作業によって背景とキャラを両方同時に動かす事が難しくなって、どっちの良さも消してるんじゃないか?その弊害でバストアップが多いのでは?
マルチプレーンカメラとか開発して、奥行きのあるアニメーションがディズニーの良さだと思ってたのに、今回は2次元の背景に3次元のキャラを貼っけてるだけに見えるシーンが多々...。人形劇みたいに感じる。加えて合成するにあたってキャラの影が背景と合わせられないから、出来るだけ影が出来ないライティングでレンダリングしてるんだと思うけど、過去のCGキャラに比べると安っぽく見えてしまう。
覚えてないだけかもしれないけど、空を描いた描写も木の上のシーン以外ほとんど印象に残ってない。むしろ空よりも地面を映してるシーンが多く感じられるのは何故だろうか。星をテーマにしたキャラまで作っておいて空の描写が少ないのは?意図的に下をむけているならばそこにも違和感があるかなぁ。
スターって何者で何しにどっから来たの?でなんで帰るの?ついでに、国王は過去になにがあったんだよ。最恐と言う割には途中からただの私利私欲に目がくらんで闇堕ちするだけのよくあるやつじゃん。さらに、アーシャの願いってなんだったの?家族や街のみんなの願いを取り返すこと?「空飛びたい」とか願っている大人がいるあの世界線で、18歳未満の少女の願いにしては現実味がないと思う。「家族や街のみんなの願いを取り返しに行く私って素晴らしいでしょ!」って取り繕ってる感じ。こんなに疑問と引っかかりがあるディズニー映画は初めてだった。
王の過去を描かないあたりは映画が当たったらディズニープラスで短編を出そうとか別の方面でお金の事を考えたのではないだろうか?後発作品を出すことでグッズの販売にも再度火をつけることができることもあるであろうし。
オマージュについては個人的に見る前にさめてしまった。「100個のオマージュ入れたので探してみてね」って見る前に言われるのはなんか違うなぁって、捻くれ者はアニメーションや物語で勝負してませんって公言しちゃってると捉えてしまってむしろマイナス評価。ディズニーランドで言うとアトラクションやショーについての宣伝を差し置いて、隠れミッキーの宣伝されてる感覚。有益な情報かも知れないけど「ほんとにそれがアピールポイントなの?」と疑問に思ってしまう。それ以上の魅力はないのかと。
PS 願いが空に放たれるシーンより12年前のラプンツェルのランタンのシーンの方が綺麗だし数も多くなかった??
PS主人公をフェアリーゴットマザーの若き姿って事にして、フェアリーゴットマザー誕生についての話にした方が面白かったんじゃないか?(最後のくだり的にも。)それはそれで荒れるかw
ビビディ・バビディ・ブー
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