自分のための文章
検索に引っかからなくても、誰からもシェアされなくても、誰の目に触れることがなくても、自分が考えたこと、書きたいことを、ただ一心に書き殴る。それは単なる自己満足かもしれないが、それできっと良いのだと、僕は思う。
#「自分」のための文章
2022年7月8日で、僕は45歳となりました。そしてまた今年2022年は、僕が大学を出て「社会」で働き出だしてから、20年が経った節目の年でもあります。
この間、特に社会人になってからの20年間は、実に色々なことがありました。大変辛かった時期も、空っぽだった時期も、耐え忍ぶしかなかった時期も、自分への自信が、0になった時期もありました。それでも、妻に支えられ、家族に支えられ、多くの友人に、多くの方に支えられながら、失ってしまった自信を1つ1つ取り戻しながら、今日まで生きてくることができました。
その甲斐あって今は、時に忙しくて、辛いと感じる時もありますが、毎日の生活を、日々の仕事を、楽しんで暮らすことができています。毎日が充実していると感じています。
この20年間、あるいは生まれてからの45年間を生きてきて、僕は気付いたことがあります。それは、僕はやっぱり「考えること」と「書くこと」が好きなのだということです。そしてそれは、これからも変わらないだろうということです。
一昨日7月8日、元首相が凶弾に倒れるという大事件が世界を震撼させました。そして昨日7月9日、僕が行ったことは、3冊の書籍を買うことと、20年前に自分が書き上げた修士論文を読み直すことでした。そして今日7月10日、僕は今、一冊の本を読み終えて、自分のための文章を、こうして書いています。
この2日間で僕が考えたことは、この社会を生き抜くためには、やはり「力」が必要だということでした。ここでいう「力」とは、「武力」や「軍事力」だけを指すものではありません。国としての「外交力」や「影響力」、「資金力」や「科学力」「学術力」もそうですし、個人レベルでは「経済力」も、その人が持つ「知識」「技術」「人柄」「コミュニケーション力」も、広い意味で「力」であると思います。
自分や自分の家族を守っていくためにも、あるいは自分の周囲を少しでも良い方向に変えていくためにも、僕らには「力」が必要なのだと――新型コロナウイルスという「疫病」が猛威をふるい、人の幸せも尊厳も何もかもを奪い去る「戦争」が勃発し、理不尽な「暴力」が言論を封殺する大事件が起きてしまうこの時代において、少しでも何かを守りたい、何かを変えたいと思うなら、それ相応の「力」が必要なのだと、僕は思いました。
そして、そして僕にとっての力とは、「考えること」と「その考えを文字・言葉として表すこと(=書くこと)」、そしてそれを「続けること」、どんな困難な状態でも、それを「辞めないこと」だと、思うに至りました。
僕はこれまでも、そしてこれからも、自らの頭で考え、それを文字にして、記憶と記録にとどめておこう。僕が今書くこの文章は、いつか「未来の自分」を救うかもしれない。「過去の自分」の救いになるかもしれない。僕が今考えていることがらは、いつかの自分の「力」になるかもしれない。
その信念と決意を、今こにに刻む。
2022年7月10日 自宅にて