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普段感じたり考えたりしたことを不定期につぶやきます。元国家公務員/現SEOコンサルタント/たまに詩人/まれにプログラマ。駒場祭50周年企画(当時)の企画責任者(https://komasai.info/

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マガジン

  • 心の旅路

    人は二つの世界を生きています。一つは実際に生活をする現実世界。そしてもう一つ私たちは、自分だけの精神の世界、心の世界を生きています。心の旅路とは、そんな精神世界で起こった事柄ーすなわち、その日自分が何を考え、何に気づき、そして何に悩んだかをとめどなく綴った、心の日記帳です。人は常に何かを考え、また何かに悩んでいます。それは時と共に変化し、また積み重なります。それらを綴っていくことによって出来る一本の道筋 は、自分が精神世界を歩んできた旅路であり、自分の生きた証でもあります。 このホームページでは、そんな理由で私が高校時代から書き始めた心の旅路の中から、いくつかの文章をピックアップして掲載してあります。その性格上、独りよがりのものも多々あると思いますが、気にせず読んでいただければ幸いに思います。感想や批判もお気軽にお寄せください。

  • 新型コロナウイルス(企業や個人の視点から)

    新型コロナウイルスに関する情報を、できるだけ一次情報にあたりながら、特に「企業」や「個人」がどうすればよいかという観点からまとめています。

  • プリンシプル

    株式会社プリンシプルで仕事をしていて感じたこと、考えたことなどを、不定期に投稿しています。

  • 学園祭回顧録

    1990年〜1992年の天童二中・天童四中時代、1993年〜1995年の山形東高時代、1996年〜2001年の東大駒場祭・五月祭時代、そして2019年、2020年の、駒場祭70回企画。私が今までに関わってきた学園祭を懐かしく振り返ります。

最近の記事

  • 固定された記事

仲間に送るエール

どこまでも続くかのように思える この長くて暗い 先の見えない一本道 いつ終わるのかもわからない 終わりがあるのかすらわからない いつまでも続くかのように思える この長くて辛い 希望の見えない一本道 でも忘れないで欲しい その道には 共に歩む仲間がいることを その道には 不安や恐怖と懸命に戦い ゴールを共に目指す仲間がいることを --- 不安に押し潰れそうな時は 恐怖に歩みをとめてしまいそうな時は 誰かを憎んでしまいそうな時は 絶望に打ちひしがれそうな時は 泣いたって構

    • 「洗脳団体」や「破壊的カルト」への一般的な注意事項

      大学の全新入生に配られる冊子の編集を、学生時代にしていたことがあったが、その冊子には原理研をはじめとする「洗脳団体」や「破壊的カルト」への一般的な注意事項が掲載されていた。今になっても通じることだと思うので、軽く紹介したい(文章をまとめたのは、相沢先輩) 1.「試しにのぞいてみよう」と軽い気持ちで怪しい団体に近づかない。「洗脳」は条件さえ整えば「自分だけは大丈夫」と言う人にも効果がある。そういう人ほど巧みな手法で強要させられることを「自分の意志」で行っていると思い込みがち。

      • 自分のための文章

        検索に引っかからなくても、誰からもシェアされなくても、誰の目に触れることがなくても、自分が考えたこと、書きたいことを、ただ一心に書き殴る。それは単なる自己満足かもしれないが、それできっと良いのだと、僕は思う。 #「自分」のための文章 2022年7月8日で、僕は45歳となりました。そしてまた今年2022年は、僕が大学を出て「社会」で働き出だしてから、20年が経った節目の年でもあります。 この間、特に社会人になってからの20年間は、実に色々なことがありました。大変辛かった時

        • ありのままを生きる

          今しかできないことが、今あるはず 僕は今いるこの場所で、今僕にできることを精一杯果たしていこう。 後悔のない人生なんてない。間違いのない人生なんてない。常に「正しい」人なんていない。 大事なのは、間違っても、後悔しても、誤っても、失っても、それでも前へ、前へ歩み続けること。 辛かった経験も、悲しかった過去も、美談になんて変えなくていい。辛さは辛さのままで、悲しみは悲しみのままで、そのまま抱えて、生きていけばいい。 弱さから目を背けず、愚かさを取り繕うことなく、醜さを

        • 固定された記事

        仲間に送るエール

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        • 心の旅路
          6本
        • 新型コロナウイルス(企業や個人の視点から)
          8本
        • プリンシプル
          1本
        • 学園祭回顧録
          14本

        記事

          雨音 ~ rainy sounds~

          雨の音に気を取られたか ふと、真夜中に目が覚める 起きてしまったものは仕方ないと 傘を差して、近所のコンビニまで歩いてみる 雨粒は、不規則に傘を叩きリズムを奏でる …ぽつぽつぽつ… …とんとんとん… 世界中を旅して回り 力つき落ちてくる雨粒たち その雨粒が砕ける瞬間 耳に聞こえるその音は 微かな懐かしさを僕に与える 一人留守番していた子供の頃も 夜遅く勉強をしていた学生の時も 悩み疲れていたあの夜も ベッドに横になり 少しずつ歪んでいく外の景色を眺めながら 僕はその音を

          雨音 ~ rainy sounds~

          希望を捨てずに、けれど最悪の事態を想定する

          新型コロナの状況を見ると不安なことが多いけど、これがもし20年前に起きてたらもっと大変だったと思う。ウイルスのゲノム解析だって、ワクチン開発だってこんなに早くはできなかったし、経済だって、リモートワークで家で仕事、オンラインで家で授業、なんてことは出来なかった。20年前にこの感染症が発生してたら、もしかしたら世界は、人類は早々に滅んでいたかもしれない。 これからのことを考えると不安は多いけど、希望は決して捨ててはいけないのだと思う。この危機を、きっと僕らは乗り越えられる。僕

          希望を捨てずに、けれど最悪の事態を想定する

          Stop to Start ~ 立ち止まる場所

          人はみな走っている 自分の証を刻むため 自分の家族を養うため 時の流れとともに、精一杯走っている 人はみな登っている より上の場所へ より上の地位へと 今の居場所を見つめずに ただ上を目指している でも、走っているだけでは息切れする 周りの景色も見えなくなる 疲れと怒りがたまっていき 自分の居場所を見失い 自分自身を忘れてしまう... ...立ち止まってみないか 今という時を、今という場所を、 今の自分を見つめてみないか 周りの景色を眺めてみないか 道行く人と話をし

          Stop to Start ~ 立ち止まる場所

          扉の向こう

          最初は1人で歩いていた、この長くて険しい道 けれど気がつくと、そこには仲間がいた 出口の見えないトンネルに入りこんだ時も そこには待っていてくれる仲間がいた 喜びも悲しみも、つらさも嬉しさも みんなで一緒に分かち合った もがき尽くしたその先に ようやくたどり着けるその場所を目指して 同じ目的をもった仲間達と 共にこの道を歩いてきた 同じ目的をもつ仲間とだから 共にこの道を歩むことができた -+- けれども、その時は来た 今あなたの目の前にあるのは 次なる世界へと続く

          扉の向こう

          言葉にして伝えるべきこと/言葉にしてはいけないこと

          「本当に大事なことは、言葉では伝わらない」という言葉もありますが、でも大事なことは、言葉でちゃんと伝えるのが良いのではないかなと、個人的には思います。特に感謝の気持ちであったり、嬉しかったことであったり、何らかの「気付き」があったりしたときは、ちゃんとそれを言葉にして、文字にして、相手に伝える(=フィードバックする)ことが、家族の間でも、友だちの間でも、仕事の場面でも、大事なのではと思います。「ポジティブ・フィードバック」という言葉がありますが、良いフィードバックをして/され

          言葉にして伝えるべきこと/言葉にしてはいけないこと

          病気は決してキレイゴトではない

          病気をキレイゴトで片付けないでほしい 病気は理不尽で、残酷だ 社会も決して、寛容ではない 周囲もその苦しみを、理解してくれることはない 人は生まれながらにして、身体でさえも、環境でさえも、平等ではない 病気は辛く、そして苦しい その辛さ苦しさは、誰とも分かち合うことはできず 一人でしょって、戦うしかない 病気を前にして、人は結局は孤独な存在だ 病気はお金がかかる、治療には時間もかかる 家族や周囲に、迷惑もかける そしてそれは、憎しみや争いも生む 治療も看護も介護だって、

          病気は決してキレイゴトではない

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:10月中旬~当日)

          【1996年(平成8年)】 10月下旬か11月上旬頃に、ある人が駒場祭委員会の部室(学館211)を訪れ、当時の企画局長と話をし、何か本部企画で面白いことができないかという話が出てきた。そしてそれが「空白最強ライブ」だった。僕は最初の時期は関わっていなかったが、途中から企画局長に誘われたこともあって、この企画の主に裏方の作業に関わるようになった。 しかし今思うと、関わろうと決めた僕はまだ甘かったと思う。というのも、この頃僕は広告局関連の仕事はさほど忙しくなかったが、運営委員

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:10月中旬~当日)

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:1+1が2となる楽しさ)

          【1996年(平成8年)】 Cruising Party以来、先輩方の様々な技術やノウハウを学んでは、自分の出来る範囲を広め仕事の処理スピードを速めることに精を出していた僕であったが、それは更に僕の「1人で仕事をする癖」を強めていった。悪く言えば、当時の僕は他人に頼まなくても済むほどの仕事能力を自分で身につけたいと思い、実際多くのことを自分1人で片づけようとした。そしてまた駒場祭委員会の体制は、そんな僕の性癖にとって都合のいいものであった。 先に述べたように、僕は1人で広

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:1+1が2となる楽しさ)

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:9月~10月上旬)

          【1996年(平成8年)】 Cruising Partyでもそうだったが、駒場祭の業務を通じても僕は「絵を描く」ためのたくさんの技術を学んだ。それはパソコンの様々な技術であったり、あるいは組織の運営方法に関することであったり、または印刷上のノウハウであったりと様々であったが、それらの中で最も大きかったスキルはAccessによるデータベースの作成とPageMakerによる冊子の編集の2つだと思われる。そしてこれらのスキルを覚え始めたのは、大学1年9月の秋休みの頃であった。

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:9月~10月上旬)

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:6月~8月)

          【1996年(平成8年)】 11月下旬に行われる第47回駒場祭の準備が本格的に始まりだしたのは6月頃であった。4月と5月にも毎週ちょっとしたミーティングは行っていたが、顔合わせや新入生への学園祭紹介が主で、そんなに深い話はまだあまりなかった。 6月になって最初に決めたことは、委員会内での役割分担(人事)であった。4月や5月から新入生を中心にどんな仕事をやりたいかの希望をとっていたのだが、それを正式に決めたのが6月の最初か二回目の総会(駒場祭委員会の会議)であったと記憶して

          学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:6月~8月)

          学園祭回顧録:大学1年の頃(Cruising Party)

          【1996年(平成8年)】 大学の学園祭というのは、少なくとも僕にとっては、中学や高校の学園祭とはまるで違うものであった。参加する企画の数や種類も、そして学園祭を運営する方法やシステムも、そのほとんどが今までとは大きく違っていた。その違いは「山形」と「東京」の違いに起因するものもあったのだろうが、当時の僕にとってその違いは大きく、そしてそれは学園祭への新たな興味へとつながっていった。 新フェスは、受験開けの僕に学園祭の楽しさを久しぶりに思い出させてくれた。ただその楽しさは

          学園祭回顧録:大学1年の頃(Cruising Party)

          学園祭回顧録:大学1年の頃(入学~新フェス)

          【1996年(平成8年)】 中学から高校へ移った時も、通学手段が徒歩から電車に変わるなどそれなりの変化が生活の中にはあったが、それは高校から大学へ移った時ほどではなかった。東京大学になんとか合格した僕は、地元の山形から上京し東京で一人暮らしをすることになったのだが、東京での生活は山形での生活とは大きく違っていて、最初の頃はとまどいと同時に驚きと感動で一杯だった。雑誌が発売日にちゃんと発売されていたり、電車が10分に一本はあったり、今思うと些細に思えることも、あの頃は新鮮に感

          学園祭回顧録:大学1年の頃(入学~新フェス)