学園祭回顧録:大学1年の頃(第47回駒場祭:9月~10月上旬)
【1996年(平成8年)】
Cruising Partyでもそうだったが、駒場祭の業務を通じても僕は「絵を描く」ためのたくさんの技術を学んだ。それはパソコンの様々な技術であったり、あるいは組織の運営方法に関することであったり、または印刷上のノウハウであったりと様々であったが、それらの中で最も大きかったスキルはAccessによるデータベースの作成とPageMakerによる冊子の編集の2つだと思われる。そしてこれらのスキルを覚え始めたのは、大学1年9月の秋休みの頃であった。
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9月上旬のテストも済み、大学卒業生への賛助依頼も一通り済んだ頃、僕は「KFC_SYSTEM」と呼ばれるデータベースを作成することになった。駒場祭委員会ではその業務上様々なデータを取り扱う。例えば参加企画の責任者の情報、場所と時間の情報、委員会から貸し出す資材の情報、委員会が販売する飲料や容器の注文数などなど、種類も数も多い様々なデータを適切に管理することは、委員会にとって必要不可欠なことである。そしてそのデータ管理に、MicrosoftのAccessというソフトで作成した「KFC_SYSTEM」というデータベースを用いていた。
このAccessというソフトは、「データベース」というよりも「データベース作成支援ソフト」というに近いソフトであろう。業務内容にあったデータベースを作成するには、Accessを利用して、時にはフォームやプログラムを自らVBAなどで組んだりして、自分の手でデータベースを設計・作成しなければならないのである。そうして作成したデータベースを、KFC_SYSTEM(Komaba Festival Committee System)と委員会では呼んでいた。
KFC_SYSTEMの設計・作成作業は、今までは情報処理に詳しいある先輩が行っていたのだが、その先輩が本郷に進学してしまったので、その役割を誰かが引き継がなければならなくなった。そして僕は、昔MSXというパソコンでプログラムを組んでいたということもあって、確かこれも五月祭の打ち上げの時に、ちょっとやってみないかとその先輩から誘われた。僕はその誘いに乗り、結果KFC_SYSTEMの作成は、電算局長だった2年生のある先輩と僕との2人で行うことになった。
この作成作業、本当は6月頃から既にあったのだが、最初の頃は電算局長と組織局長(参加企画の場所や時間についての決定・調整を行う役職)の2人の先輩が主に行ってくれた。その間僕はAccessの入門書を読みその使用法を学び、練習のため広告局でデータベースを作ってみた。これは先に述べた卒業生への賛助依頼のための住所録データベースであり、8月の中旬に作成した。
そし9月。駒場祭の近づきと共に扱うデータも徐々に多くなりだすこの時期から、KFC_SYSTEM作成の業務は忙しくなっていた。そして僕はこの時期から実際の作成業務に本格的に参加した。
僕がまず一番最初に作成したのは資材関連のシステムであった。駒場祭委員会では参加企画に椅子や机などの資材を貸し出しているのだが、当然数に限りがあるので、各企画からの希望をとった後に、それを委員会側で調整して貸し出す数を決めなければならない。この一連の作業を「査定」というのだが、毎年その査定支援のためのシステムがKFC_SYSTEMにはあり、担当者はそれを用いて査定を行っていた。
9月の中旬、このシステム作成のため僕と電算局長の先輩は徹夜でAccessと格闘した。しかし一晩の格闘もむなしく、次の日になってもそのシステムはできなかった。しかし何度も格闘しているうちに徐々にAccessの仕組みが分かってきて、一週間ぐらい後にようやく完成させることができた。
この資材関連のシステムは、実はKFC_SYSTEMの中でもかなり高レベルな部類に入るものであった。本当に苦労したが、しかしその甲斐あって他のシステムは比較的容易に作ることができた。
その後電算局長の先輩は、事務局長という委員長補佐のような役職についていたこともあり、他の業務が忙しくなってKFC_SYSTEMの作成には関われなくなった。そのため僕一人でKFC_SYSTEMを作成することになったのが、先人の残した昔のシステムを元に何とか一通り完成させることができた。作成途中、広告局以外の様々な部局と関わることになったため、現物援助、火器レンタル、運営委員制度、企画登録証などの様々な制度の仕組みを覚えたものだ。
このKFC_SYSTEMの作成という業務は、単にAccessというソフトの使い方を覚えたにとどまらず、駒場祭委員会の様々な業務を覚え、そして他の様々な委員と関わるきっかけとなった。そしてその経験は他の部局への関心へとつながり、僕は総会での他の部局の話題にも積極的に参加するようになった。
なお余談ではあるが、この作業の後僕はAccessを自分でも購入し、「一言メモ」などの様々なデータベースを作成するようになった。今では自分の趣味や特技に「Accessによるデータベース作成」とかけるほどにもなり、実際3年の時ある企業のデータベース作成のバイトなども請け負った。1年の時のあの業務は、僕の人生に大きな影響を与え、そしてこれからも与え続けていくだろう。
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9月下旬、僕はAlmightyの編集をすることになった。ちょうど第三回目のCC代が10月上旬にあり、そのための連絡・注意事項をまとめるAlmightyの編集を僕が扱うことになったのだ。ただし初めての編集だったという事もあり、冊子の表紙を他の1年生が、中身を僕が編集するという役割分担で行った。
編集という作業は、まずどういう原稿が必要かをリストアップし、それを他の委員に依頼しなくてはいけない。そして依頼したらその原稿を取り立てなければならない。原稿取り立ての作業は、いつもなら直前ギリギリにならないと出ないと言うことが多々あるのだが、今回は秋休み中だったということもあり、比較的早めに原稿が集まった。それでも苦労した原稿はありはしたが...。
原稿が集まったら、それをパソコン上で編集する。原稿は各個人が思い思いに書いてくるため、その形式はバラバラであることが多い。例えば見出しに1,2というアラビア数字を付ける人もいれば、一、二と漢数字を付ける人もいる。零から始める人もいる。そんなばらばらの原稿を統一したフォーマット(形式)にそろえ、読者が読みやすいようにするのが編集の第一の仕事だ。もちろん余裕があり腕に覚えもあるなら、読み易さから更に美しいデザイン、レイアウトを追求してもいいのだが、残念ながら僕にはまだその余裕もスキルもなかった。
この編集はPageMakerというソフトで行った。これは印刷会社でも実際に使われている本格的なもので、値段も相当するのだが、うちの委員会では駒場祭公式プログラムをPageMakerで自ら作成し、そのデータを印刷会社に渡すという「データ入稿」という形式をとっていたので、その関連でAlmightyの作成にもそのソフトを使わせてもらっていた。このソフトかなり使いやすく、初めてではあったが、そう戸惑うこともなく編集作業を行うことができた。
そして印刷。僕が編集した本編の冊子は、とりあえず順調に(とはいっても深夜遅くからであったが)印刷が開始され、朝の9時頃には完成させることができた。問題は資料編である。この第3回のCC代から、注意事項と連絡事項をまとめた本編と様々なデータを載せた資料編という2種類のAlmightyを作るのだが、その資料編の作成がてこずった。
僕は本編の編集だったので、資料編の編集は行わなかったのだが、しかし原稿をいくつか受け持っていた。資料編の原稿は様々なデータであり、そしてその多くはKFC_SYSTEMに保管されている。その保管されたデータを見やすい形にして編集者に渡すのはKFC_SYSTEMの担当者である僕の仕事だった。Accessに詳しい組織局の先輩などは自分でデータを整形して編集者に渡してくれるのだが、その他の部局、特に1年生の部局についてはほとんど僕が行うに至った。こちらの作業の方に僕はてこずってしまい、編集者には随分迷惑をかけてしまった。それでも何とか企画代に間に合うことはできたが、最初はかなり焦ったものだ。
ちなみにここでPageMakerの使い方を学んだ僕は、後に第四回企画代でのAlmighty資料編の編集、駒場祭直前のmini_Almightyの作成など、後にも多くの面で冊子の編集に携わることになる。そして1年冬には、300ほどのサークル紹介などが載った新入生向けの歓迎冊子の編集にも携わり、こちらは印刷会社に印刷を依頼していたので、その関係で何度も印刷会社に赴き、印刷に関する様々なことを教えてもらった。
今では自分の趣味・特技に「PageMakerによる冊子編集」とかける程になり、何かに付けてはPageMakerで冊子を作成するようになった。ビラやポスターも作るようになり、時々趣味でしょうもないものを作っている。ともあれこのPageMakerとの出会いも、僕の人生の中で大きなウエイトを占めていくのは間違いないだろう。