陽キャを疎ましがらず敬おうと思う
陽キャに対して敵対心や嫌悪感がないと言えば
嘘になるが
この世界が陰キャばかりなら
世の中はこんなに発展していなかった
なので感謝の気持ちや敬う気持ちは
素直に持っていなければと思う
(発展しなければしないで陰キャは
わりと心地よく生きていた気がするけど…
iphoneの新作が出るたびに「もういいよ」と思ってしまう気持ち分かる方いますか (;o;)?)
どうしても日常的にスマホやコンビニ、
様々な便利なものは利用する
このような文明は陽キャさんたちが
作ってくれたものです
きっと最初のアイデアは陰キャが出したにしても
たくさん働いて膨らませたのは
陽キャさんたちだと思います
私の陰キャと陽キャの定義は
湘南乃風でタオルを振り回せるかどうかだと思ってます(私の偏見に満ちた見解です)
すなわちどういうことかというと
「立ち止まるか、立ち止まらないか」です
陰キャはとにかく立ち止まり考えます
考えていると哲学にまで至るので
文明を発展させるスピード感がないです
「幸せってなんだろう、
なぜ生きてるんだろう」
こんなの月1ペースで考えます
立ち止まって考えたらタオルは振り回しません
陽キャさんたちは
まずストレス耐性があるので
立ち止まったりしないです
本当に本当にたくましいと思います
いちいち「なぜ?」とか考えないです
ごはん食べて働いて寝て遊ぶことを
ロスタイムなしで行えます
こういう社会の仕組みに当てはめていくと
どうしても陰キャは劣勢のような気がして
悲しい気持ちになります
「生きてるだけで偉い」とは言うけれど
生きてるだけで偉かったのは
私の体感的には3才くらいまでな気がします
集団に入って能力を比較され
容姿を比較され
優劣が付けられていく中で
生きてるだけで偉いなんて
親ですら言ってくれないし
自分の子が「優劣」の「劣側」であることを
目の当たりにした時のがっかりした顔
本当に親って勝手だな、と
子供ながらに思っていました
母親の落胆した顔が本当に嫌いでした
「競争心てなんか怖いし汚い」と
感じていたので
次第に勝負を放棄していきます
だけどこの競争心こそが
社会を発展させるのになくてはならないもので
競争心を放棄した私は
社会を放棄したことと同等なのかな
陽キャさんたちを見ていると
競争ばかりして疲れないのかなと思う
マウントもすごいし
充実してなきゃいけない感じがすごい
だから見ていてこちらも疲れるけど
こういうパワフルさが社会を回してる
なので疎ましがらず意識的に敬おうと思う
日々陽キャさんたちとの価値観の違いで
「ぐぅ…」ってなるから
自分なりに生きやすくなる答えを出したくて
とりあえず考えをこちらに殴り書きしてみた
停滞させることは全てにおいてよくないので
汗をかいて老廃物を排出させるように
思いや考えも定期的に排出させようと思う
本当に頭がスッキリする
陰キャの自分を楽しもうと思う
アラフォーだしここから陽キャにはなれないし
たくさん考える陰キャの自分が好きだったりする