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【中国大都市見聞録5】猛暑の華北をめぐる

春休みに華南・華中・江南エリアを回り、威勢よくnoteの連載を始めたは良いものの、あえなく深センでストップしていた。この時見た中国の都市がとても面白かったので、他のエリアの都市も見てみようと思い、8月後半に改めて中国に行ってきた。北の方なら8月後半には暑くないだろうと思い華北(天津→済南→徐州→鄭州→石家荘→北京)に行ったところ、あえなく猛暑日に見舞われ続けてしまったのだが、せっかく夏バテと戦いながら足で学んだ中国の都市の姿をnoteに書き残しておこう。あまりに内容を詰め込みすぎると書けなくなってしまうので、内容が薄くても気軽にアウトプットしていこうと思う。


華北の6都市

今回は華北の6都市を回った。華北は黄河流域に位置し、古代から「中原」と呼ばれる中華文明を育んできた地域にあたるため、春に行った華南・華中・江南エリアよりも総じて歴史ある都市が多い。例えば済南は中国最古の文明の1つである竜山文化が育まれた地域であり、また鄭州には殷の都が置かれていて、洛陽・開封・安陽・邯鄲・許昌といった数多の古都と隣接している。徐州は劉邦の故郷であり項羽が都を置いた地として楚漢戦争の中心地となっただけでなく、三国志でも曹操・劉備・呂布らが争った地である。そして北京は言わずもがな、元王朝以来800年に及ぶ中華王朝の都として繁栄してきた。

一方で天津と石家荘は比較的新しい都市である。天津は北京への出入り口として、東京に対する横浜のような存在として清末に発展を遂げ、中国における近代化をリードしてきた。石家荘はもともと華北の中心都市だった正定郊外の農村だったが、列強が敷設した京広鉄道の結節点として軍事拠点となり、戦後都市化が進み正定を飲み込んでいった。

2022年版の中国都市総合発展指標を参照すると、北京1位、天津11位、鄭州19位、済南21位、石家荘46位、徐州69位となり、一線都市から三線都市まで比較的幅広く滞在したことになる。また石家荘郊外の正定は初めて訪れた「県」となった。三線都市は二線都市と比べて規模や密度が大きく異なる感覚はないが、地下鉄の整備状況、歩きやすさ、オフィスの存在感、観光資源などの点でやはり異なっている印象だった。今後は一線都市~五線都市、さらには県級市まで含めた旅程を組み、中国都市をより多面的に捉えていきたい。

ここからは6都市に共通するテーマを3つ取り上げる。

1. 交通 - 小型モビリティの氾濫と歩行者軽視

1-a. 地下鉄

天津と鄭州は10前後、北京には25を超える地下鉄の路線がある。大体準一線都市までは地下鉄がメインの交通手段となっていて、特に2010年代後半に各
都市で急速に整備が進んできた。天津で宿泊した友人のご家族が住むマンションは近くに地下鉄駅ができる前に購入したが、のちに地下鉄が2路線開通したことで値段が跳ね上がったらしい。中国の地下鉄はどの都市でも駅の仕組み、乗車システム、各種デザインがほとんど同じで、初乗り価格が40円程度と極端に安いこと、同じ時期に計画的に建設されているのでわかりやすくシンプルな駅になっていること、などが全国的に共通する特徴である。

地下鉄の整備時期は優先順位が明確に反映されていて、重要性の高い大都市ほど早い。路線の数を経年で追っていくと面白そうなのでグラフ化してみた。20世紀に北京、次いで天津で開通したのち、2000年代まで他の都市では地下鉄が通っていなかった一方で、北京では2008年の五輪開催に合わせて整備が急速に進んだ。2010年代後半に入ると北京以外の都市でも整備が進み、特に鄭州で急速に開通している。今後は二線・三線都市での整備が進んでいくだろう。

地下鉄で印象に残っているのは、北京地下鉄10号線(環状線)にて、朝の満員電車から降りる人を無視して大量の人が乗り込んでいく姿だろうか。降車を待ってからみんなで乗ったほうが確実に多くの人が乗れるのに、降車を待たないからぐちゃぐちゃになり、結局ほぼ誰も乗れないうちにドアが閉まってしまい次の電車を待つことに。これを3回ほど繰り返してようやく乗れた。整列乗車という概念が浸透する日は来るのだろうか。

ちなみに中国の地下鉄は上下分離方式が採用されている。北京の場合、施設管理を北京市基礎設施投資、運行管理や配車は北京市交通委員会傘下の北京市軌道交通指揮中心が行い、各路線は北京市地鉄運営(国有企業)、京港地鉄(香港MTRなどの合弁会社)等が運行している。京港地鉄の運行する4号線はユニークな事例で、中国大陸で初めて官民パートナーシップ(PPP)により建設と運営が行われている。

1-b. 小型モビリティ

済南・石家荘・徐州はいずれも地下鉄が3路線しか開通していないので、中心部以外は地下鉄でカバーできていないエリアが広い。このような二線・三線都市ではスクーターや自転車が主要モビリティであり、郊外から都心への通勤通学で使われている。家族3人で相乗りして通勤通学する姿もみられた。みんなが車を運転するようになると道路インフラが崩壊してしまうので、スクーターは最適解なのだと思う。ある程度広い道路であれば小型モビリティ用のレーンは必ず設置されていて、信号が変わるとマリオカードのように大量のスクーターが走り出す。

石家荘の夕刻
こちらは徐州

どの都市も市街地の密度が高いため、地方都市だろうと自動車・小型モビリティともに交通量は東京の比にならない。リアルマリカーは一見カオスにみえるが、運転しているとその中にある論理(秩序まではいかないか笑)が分かってくる。速いバイクが抜かせるようにゆっくり目のスクーターや自転車は右側に寄るし、歩道が小型モビリティ用レーンと一体化していれば自動車のレーンを走りだす。みんな隙間を見つけて前に前に進んでいくが、「他の人も割り込んでくるだろう」という意識なので意外にも事故は少ない。その辺のイメージはこちらの記事で「回遊魚のよう」といわれている。

★Aさん:割り込みしたい人、Bさん:割り込まれそうな人

Aさん:(隙間を見つけて)入ろっと(ごく自然体で自分のクルマの頭を突っ込んでいく)
Bさん:え?俺の方が先やで~(ぐぐぐぐっと前のクルマとの隙間を詰めていく)
Aさん:いける(さらにそーっと詰める)
Bさん:いける(でも一瞬のたじろぎ)
Aさん:(その間合いを読んで)われ先で(ぐいっと突入)
Bさん:(ふっとアクセル戻す)仕方ない(そして自然体に走る、割り込まれたことを何も気にしない)

https://www.axismag.jp/posts/2018/12/111071.html

また東京と異なるのはクラクションが毎秒1回ずつ聞こえてくることだろう。日本なら自転車のベルを鳴らすのは必要最低限にするし、クラクションなんてよっぽどイライラしないと鳴らさない。でもこちらの意識は少し違うようで、「今から通るからそこにいると危ないぜ」くらいのニュアンスで鳴らしていて、他人を責める意図はほとんどないらしい。マリオカート状態の時には後ろから大量のクラクションに追い立てられるから大変だ。「大きな音を鳴らす」という行為への閾値が低いのは、公共空間における振る舞いの違いにも関係していると思う(後述)。どちらが悪いわけでもないが、クラクションにいちいちイライラしていると大変なので、ニュアンスが異なることを理解しないといけない。

そして中国という国がすごいのは、このクラクションをテクノロジーで規制してしまうことにある。確かに思い返してみれば、北京や天津では自転車に乗っていてもそこまでうるさい印象がなく、シンプルに地下鉄があるので交通量が少ないのかと思っていたが、大都市では音センサーと監視カメラによる分析で、むやみにクラクションを鳴らしたり追い越しをしたりする車はすぐに罰金を取られるらしい。いずれ二線・三線都市にも導入されていき、麗しきクラクションの演奏を聴くことはできなくなるのだろう。また夜に自転車を運転していると、街灯についた監視カメラが10秒に1回ほどフラッシュを焚いていたので、あれも監視システムの一部なのだろう。

1-c. シェアサイクル

シェアサイクルのサービスはどの都市でも①美団単車(Meituan、黄色)、②哈囉騎行(Hello Bike、青)、③青桔単車(Didi Bike、緑)の3種類だった。②のHello Bikeはアリペイの系列で、アリペイでスキャンするだけで使えるので、どの都市でもこちらを使っていた。

黄色・青・緑の自転車が並ぶ北京の駅前の様子

シェアサイクルのサービスは都市ごとに提供されていて、微妙に形態が異なる。基本的には一定の範囲内(だいたい市街地全域)ならどこでも乗り捨て可能だが、徐州では日本のようにポート内でないと返却できなかった。異なる行政区域を越えての利用は不可で、例えば石家荘市のHello Bikeはすぐ近くの正定県で返却できなかった。また徐州は自転車ではなくスクーターのレンタルだったので少し値段が高かった。

スクーターが並ぶ徐州

中国では2010年代に急速にシェアサイクルが普及したが、過当競争による過剰投資、街角の放置自転車の横行、デポジット(保証金)管理の不透明さなどにより、2018年ごろには否定的な報道が相次いでなされた。しかしここ数年、各地方政府による適切な規制とサービス水準の向上により、シェアサイクルサービスは次第に最適化されていった。例えば、過去の利用データを分析し、自治体ごとに投入できる自転車の上限台数を定めていて(季節によって変動させている)、街に自転車が溢れすぎることを防いでいるらしい。また自転車の返却時には位置情報をチェックされていて、駐輪向きが違うだけでやり直しになることもあった。返却可能区域外だと返却ができない仕組みになっているし、罰金覚悟で乗り捨てる利用者がいると事業者は何分以内に対応する等の義務があるそうだ。

https://wisdom.nec.com/ja/business/2018083001/02.html
https://www.ix-plus.com/article/column-059/

どの都市でも同じ3社が運営している、というのは日本の大手キャリアを思い起こさせるが、それくらい市場が成熟しているのだろう。自転車の返却ポートがいっぱいで歩道をふさいでいるのはよく見かけたし、壊れた自転車が放置されていたり、カゴが汚れていたり、自転車がなかなか見つからなかったりというときもあった。ただ全体的に言えば、乗り捨てされた自転車が通行の邪魔になることもなく、かといってあまりに自転車が見つからないこともなく、シェアサイクルが街に違和感なく溶け込んでいた印象だった。

鄭州にて、大量のシェアサイクルとスクーターが駐輪されている。道路が広いしそもそもスクーターが大量に駐輪されている場所は多いので、シェアサイクルが邪魔、という印象はあまりない。

東京では、シェアサイクルが普及してきているもののサービスの空白地帯が多かったり、LUUPの規制緩和に対してネガティブな意見が多かったりする。また地方では、地元タクシー事業者を守るためにデマンド型バスの利便性を上げられないといった話を聞く。歩道・自転車レーンの整備状況、道路幅員、交通ルール、主要交通手段など様々な条件が異なるので、日本でも同様の施策が最適だとは決して思わない。ただ、民間事業者と協調した行政による迅速なルールメイキングで、スピーディーに課題を解決し、新しいモビリティを都市になじませたことは、非常に参考になるのではないかと思う。データをもとに意思決定できる人材のパイを社会全体で増やすこと、安易な人件費削減に走らずに資金を投入して行政の人的リソースを向上させること、行政内部では目先の安直な「公平性」ではなく未来を見据えた挑戦的な意思決定ができる風土を醸成し、かつ市民がそれを正当に評価すること。全く異なるロジックで動いている社会だからこそ、参考になることは多くある。

1-d. 歩行者

一方で歩行者は軽視されていて、しばしば歩道が駐輪スペースで埋まっていたりそもそも切れていたりするので、スクーターが行き交う中で歩かなくてはいけない場所が多くある。そもそも意思決定層はほとんど車移動なので、そういった問題に目を向けにくいのだと思う。治安が良いおかげで後ろからスクーターが来てもヨーロッパのように何か盗まれるわけではないのが救い。

2. 都市空間

2-a. 公共空間の占有

交差点で開かれる夜市、博物館で座り込んで休憩する人々、夜間幅員の広い道路で宴会を開く人達など、日本では見られないような公共空間の使われ方がしばしば見られた。いわばタクティカルアーバニズムを各々が勝手にやっているのだ。何が原因なのかは分からないが、前述したように公共的な空間での行動規範が日本とは大きく異なっている。勝手に道端に椅子を持ち出しておしゃべりするとか、大きめの交差点に屋台が集結して夜市ができるとかは、クラクションで大きな音を鳴らすのに躊躇しないとか、子供が泣きわめいても放置しているとかと同じマインドセットに起因しているのだと思う。要するに彼・彼女らは公共空間を自由に使ってやろうと思っているし、他人に遠慮するよりも好きなように振舞う権利が当然あると思っている。そういえば10+1の「高層高密都市に潜む──ホンコン・スタイル」で木下光氏が言及していたのはこれに近そうだが、それは香港の過密性に由来するというよりも中華のダイナミズムが育んだマインドセットのような気がしてならない。

「香港の都市空間をしばし観察していると、都市とは、私性の集合体ではないかとノリの地図やCIAMの概念と正反対のことを思ってしまう。(中略)都市と住居における公私の関係が明確に逆転しているということは言い切れないが、住居から溢れ出す私性を受けとめるための空間、これこそが香港という都市の立脚点であり、都市空間を浮遊する私性を流したり、受けとめたりする仕掛けが建築やそれに類するものとなっている。

高層高密都市に潜む──ホンコン・スタイル | 木下光

日本に来ている中国人観光客がそういった振る舞いをしていると、当然はマナーが悪いとか周りのことを考えてないとかネガティブな受け取り方をされてしまう。それはもちろん正しいが、お行儀良すぎるからつまらない街になってしまうのであって、道端で勝手に宴会できたほうが楽しいに決まってる。僕が中国の都市空間で真っ先に思い浮かべるのは、住宅街の路地でおじいちゃん・おばあちゃんたちがベンチを出して1日中喋っている景色だし、一番街で生きていると感じられる瞬間は根津神社例大祭の準備終わりに藍染大通りに椅子を出してみんなで牛丼を頬張っている瞬間だ。タクティカルアーバニズムも許可なんてもらわずに勝手に毎日ブルーシートを敷けばよいのだ(暴論)。

石家荘市の河北博物院前の広場。だだっ広いだけなのにやたらと人が多くて、子供がたくさん遊んでいる。

最後は暴論になってしまったけれど、結局のところ「良い街」というのはいろいろな人たちの思い思いの過ごし方を受け止められる街のことだと思う。そこには密度と余白のちょうどよいバランスが必要で、歩行者のための余白を残しながら密度を上げた都市に、断面交通量最弱であるクルマのための居場所などないのだ(暴論)。

2-b. 伸び伸び樹木

中国の街の一番好きなところは樹木がアオアオノビノビしていることだ。特に鄭州は最高だった。樹を見るだけで本当に素敵な街だなと思う。アーバンフォレストだグリーンインフラだいろいろ言葉はあるが、行ってみると説得力が違う。ヨーロッパでもスペイン(バルセロナ/マドリード/バレンシア)と東欧(ベオグラード/ソフィア)あたりは緑が素敵だったが、樹木の作りだす雰囲気を含めれば鄭州が一番良かった。

一般的に、街路樹による緑化政策は難易度が高い。詳しくは以下の記事に譲るが、街路樹はメンテナンスコストが高いので、単純な経済的利益を重視してと管理しやすい低木ばかりを植えたり、メンテナンスが必要な古い樹木をすぐに新しい苗木に交換したりしてしまうが、それでは本来樹木の持っている多面的な価値 ー 大気質の改善、雨水管理、炭素貯蔵、視覚的な豊かさ、ヒートアイランドの軽減、日陰の創出、冷房費用の削減、土壌の再生、都市の生物多様性の確保、小売業の売上への貢献、メンタルヘルスの改善、身体活動の促進、交通事故リスクの低減、不動産価値の上昇など ー を発揮することができない。樹木をコストではなく資産として扱い、植樹数ではない多様な指標による評価を行いつつ、樹木の多面的な価値を認識することが必要になる。人間の個別最適/資本主義の意思決定に対して、樹木の半世紀に及ぶライフサイクルは長すぎるのだ。

鄭州をはじめ中国の街路樹はおおむね樹高が高く、また幹は真っすぐ伸びるのではなく思い思いに伸びて枝を広げている。樹木は人間と共に「都市の豊かなエージェンシーのネットワーク」に組み込まれ、「都市をともに生きる仲間(co-inhabitants)」として扱われていた。このような豊かな樹木がどのように実現されているのか、主に鄭州の記事で扱っていこうと思う。

3. 料理

我々が日々「中華料理」として一括りにしてしまうものは、実はとんでもなく多様である。中国八大料理などと言われるが、実際にはさらに細かい単位でスタイルが異なっている。今回の旅では、天津・石家荘・北京は同じような北京料理だが、済南は宮廷料理のベースとなった魯菜(山東料理)、徐州は江蘇料理の一種である徐海料理、鄭州は河南料理で麺が有名などなど、食体験は実に多様だった。

こちらは徐州の徐海料理

帰国してからはや1か月半経過してしまった!頑張って随時更新していきます!他の記事は以下から↓


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