やさしさを受け取るということ。
少し間が空いたけど、やっとnoteを更新できる。
安心した気持ちで、ややほっとしながら机に向かって、キーボードを叩いている。今の時期は、急激に秋が深まっていって気温が下がり、体調を崩しやすいから、休み過ぎだと焦る自分を封印して、たくさん眠ってご飯を食べて、自分を生かしていきたい。こうやってこまめに言い聞かせていないと、つい無理をして体を壊してしまう。だから、今のキャパシティーでできる範囲でここも書いていこうと思います。
最近の自分を振り返って、わたしはなんだか、人の優しさを受け取るのがひどくへたくそだな、と恥ずかしくなった。たぶん表面的なものにとらわれて、本質的な部分に気が付くのが遅くなってしまう。警戒しすぎて、間違いを繰り返している。そんな自分に気づけただけでも、成長なのかもしれないけれど。
ここ2か月間ほどインターネット上でおしゃべりをしていて、先月はずっと人間関係のトラブルに悩まされていた。一方通行のコミュニケーションが重くて、負担で、もうやめてしまおうかと思い詰めていた。またわたしは、自分の居場所を作ることを失敗したのかと落ち込んで、傷ついていた。
そこでわたしに手を差し伸べてくれた人は、おしゃべりを始めたばかりの頃から見守ってくれていた人で、わたしは最初、その人の厚意をたぶん、無意識に蔑ろにしていた。
どうして自分が何も与えていないのに相手が求めてくれたり、与えてくれたり、献身してくれるのがわからなくて、不可思議で、全然受け取る姿勢をとれていなかった。でも、その人はわたしが返事を返そうが返さまいが、淡々と同じ姿勢を崩さずに接し続けてくれた。それでわたしがすごく困って追い詰められたとき、当たり前のように味方になって寄り添ってくれて、助けてくれた。それがとっても嬉しくて、涙が出るほど感動して、わたしは心を動かされた。と同時に、やっぱりどうしてそこまでしてもらえるかがわからなくて、その人のことがとても気になるようになってしまった。
その人はいつも淡々としていて、わたしみたいに感情が激しいわけでもなくて、でもわたしのおしゃべりに毎日付き合ってくれたり、いろいろとマメに情報共有をしてくれたり、内に秘めた信念や自分の筋みたいなものを感じて、気づけば惹かれてたんだなぁと今になって思う。
いまのわたしに足りないものの中で大きなひとつ、他者からの厚意や愛、やさしさを受け取ること。それが課題で、わたしが溜め込んできた負債なのだろう。
この人は、わたしが失ってしまったそういう純粋さを取り戻させてくれるような気がする。シンプルに、難しく考えず、そのまま、ありのままのわたしでいいし、そんなわたしに魅力があって、惹かれて、癒される。
そんなメッセージを自然に、毎日行動から伝えてくれて、関わってから日ごとに自己肯定感が高まっている気がする。わたしはわたしで、その人に感情という良い影響を与えていると最近では思えて、毎日とても恵まれていて、世界にやさしくなれている。生きる気力が湧いている。
親友ちゃんが言っていた、「好きな人や彼氏ができると、周りの人たちや動植物にやさしくなれる」っていう言葉が、今はすごく、すごくわかるよ。
わたしにそんな安心感や希望、あたたかな感情を注ぎ続けてくれているこの人のことを、少しずつ書いていきたいと思った。
ずっとずっと、離れないでいてくれる人がいてほしかった。本来のわたしを肯定して、受け容れてくれて、いいんだよって言ってくれて、関わり続けてくれる人を望んでいた。
もしかしたらこの人が、わたしのずっと待っていた存在なのかもしれない。今は少しずつ、そう思い始めてる。
そんな秋、2020年の秋です。
いつも10月は、何かが始まる季節で、どきどきしてる。やっとわたしも、一歩を踏み出せるんだなって、振りきれたのかなって。新しい道が、世界が、ここから拓けていく気がする。
人生は選択の連続で、すべてを選ぶことはできなくて
何でもかんでも得ようとすると、必ず何かを取りこぼしてしまう。
だからわたしはここのところ、「手放すこと」がかなり大事だと思っていて、手放したぶん、空いた余白に新しい出会いや自分にとって必要なものが入ってくるんだ。だから不要なもの、今の自分にはもう古くなってきたものは絶対に思い切って捨てたり、手放ししたりしたほうがいいってやっぱり改めて強くおもった。
一年前の自分の選択は、間違ってないし、今の自分に確実に繋がっていて、わたしを新しく復活させていくんだと思う。
そんな新しい予感に満ちた10月です。
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