願いを声に出すこと、言葉にすること。
低気圧がひどすぎてとてつもない動悸や吐き気が襲ってきたので、気を紛らすために今日もnoteを更新する。ノートPCのままだとどうしても文章を打ち込む気持ちになかなかならなかったから、ほんとうに新しいキーボードを買ってよかったなぁとおもう。なんてことない文章を打ち込むだけで、新鮮な楽しさや喜びが沸き上がってくる。おもちゃみたいなカラフルなキーボードと、ぽってりしたマウス。
これから文章を書くのがどんどん楽しくなるといい。そんな願いを込めながら、未来へのささやかな希望でなんとか今をやり過ごしている。
昔から、やりたいことはたくさんあるのに、許される環境じゃなかくて、見ないふりをしてきたことがたくさんあった。でもここ数年でやっと、わたしをずっと縛ってきた鎖を断ち切って、わたしは孤独だけど自由になった。ほかの人からは理解しがたいかもしれないけれど、治人生でいちばん、恵まれた日々を過ごしている。心も体も生きていくことが困難なくらいぼろぼろのぼろ雑巾みみたいになってしまったけど、そうしなければ鎖から解放されることは到底望めなかった。ほんとうに人間は残酷だし、利己的で、権力を持ったものは悉く腐敗する。だけど、だからこそわたしはそうなりたくない、に縛られてくるかったのかもしれない。ずっと。まだ呪いにかかったままで時々苦しくなるけど、すこしずつ解いていきたいなと思う。じっくり生きていこう。希望を見失わずにね。
やりたいことや夢は言葉にすることが大切で、思い返せば言葉にして話していたものはだいたいい叶っている。
だから今会いたい人ややりたいこと、実現したらいいなと思うこと、願望はしっかり意識して言語化していきたい。
それが未来の道を、自分自身で着実に作っていくことにつながるから。
まず、直近の願望としては、
★部屋の小窓のカーテンを買うこと
★100均で、マステの収納ケースを3つくらい買い足す。
★ゾゾで洋服をみる、買う。(ミトンやiPhoneケース、ガラスコップなどもあれば)
★バスタオルを2枚ほど買い足す(古いものは捨てる)
★雑貨屋さんで良い靴下があれば3足ほど買う
★スマホ用の三脚を買う(持ち歩き可)
★ドコモショップでiPhoneを買う
★無印良品の壁掛けCDプレーヤーを買う
★大きくて厚手で使いやすいトートバッグを探す、買う
★麻雀を少しずつ覚える(雀魂毎日ログイン)
★スーパーで食料調達、水分たくさん買う
★あつ森をコツコツ進める、友達に連絡して一緒にやる。
★スマブラに挑戦する。
★残酷な観客たちを観る。
★ミリシタのメインストーリーをコツコツ読み進める。気になるイベコミュも気が向いたときにチェックする
★小説を書き進める
★週に1回はシャニマスに真剣に取り組む(配信でも可)
★配信でやりたいことを書き出す、無理はせずに実行する
★流浪の月、他積み本を読む。(カフェでも可)
★少しずつ実行に向けてその時々でできそうなことを計画していく。
★久しぶりに絵を描く。モチーフは好きな女の子のイメージで。
★kindle paperを買う。(3月までには)
★机の上を整理する
★L字デスクの左側を油絵制作スペースに改造する。
よし、眠くなったのでそろそろお風呂にはいろう。
自分のまとまらない思考を言葉に落とし込むとすこし安心できる。漠然とした不安が、ひとまわり小さくなるのを感じる。
こういうふうに少しずつ、毎日自分を救っていこう。新しく歩き始めるための浄化、そのための一歩から、すべては始まるものだから。
『継続は力なり』はもともと、兄が好きな言葉だったけど、最近はわたし自身が口癖のように唱えてる。なんでも続けていくことが重要で、できるだけ嫌いにならないように、自分に強制しないように注意深く生活してる。近すぎてうんざりしないように、完全に離れてしまわないように。そういう生活のテクニックみたいな部分は、最近やっと重要性を理解できて、実行できていることだ。今なら好きな小説の一節が前よりも切実に理解できる。大好きな野中柊さんの本、また読み返したいな。図書館で借りてこようかな。それとも、電子書籍を買おうかな。
今住んでいる部屋は今までの中でほんとうに一番気に入っていて、でも2部屋あれば完全に理想に近いのになぁ、と思ってる。あと、防音がもう少し整っていればなぁ…。
今住んでいる街も懐かしさを感じる古い雰囲気にほんとうに愛着があって、もっと外に出て散策とか、カフェ巡りとかできたらいいのになぁと思いながら、でもそれは無理なんだろうなぁとかぼんやりと考えていた。
自分のために生きる、が27歳のテーマで、28歳のテーマは発信にしようかな。したいな。自分のために生活を整えて、好きなこと、心が弾むこと、気の向くことにひとつひとつ取り組んでいく。無理して外に出ようとせず、家の中から発信できる術を探して、ふやしていく。
2020年に出会ったそれは、配信という手段だった。その前、2015~2016年あたりに初めて出会ったのはソーシャルゲームで、鬱で人生が壊れたけど、そのあたりからわたしの人生の舵切りがされたんだなぁと、今になって思う。
そもそも鬱になって人生をドロップアウトしなければ、わたしは国立大学を卒業して、教員免許を取得して、今頃どこかの学校で教師として働いていただろう。その人生はわたし望むところでは全然ないから、結果オーライで無理やり舵切できてよかったんだ。経験してきた地獄を思うと結果オーライなんて到底いえないけど、5年以上経ってやっと少しずつ、自分の境遇や適性、人生について理解が深まってきたし、受け容れられるようになってきた気がする。エリートからの脱出、あの世界では決して見えないものがたくさんあった。もともと社会不適合者で学校に行くのもしんどくて友達がたくさんいることだけが人生の救いだったけど、死の淵、底辺で経験した感情はきっとこれからもわたしを支えてくれるだろう。それに、その感情によって殺されてしまっても、実際わたしはかまわない。それくらいの覚悟で生きてきたし、これからもそうなんだろう。
気を抜くと呪いのような文章ばかり書いてしまうけど、少なくとも今は自由の味をかみしめていて、わたしは安寧で幸せなんだ。ずっと不安なのは生まれてからの標準装備、もともと抑うつ傾向なのは仕方のないこと。得たものや失ったものを数えるのではなく、今あるもので何ができるか、をいつも心に留めておこう。
おやすみなさい、今夜もよい夢を。
胃を巡る無印のバターチキンカレーを、ペットボトルのミネラルウォーターでそっと薄めながら、浴槽にミルクティーの入浴剤を注ぎながら。
AM2;14 あさせ
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