すばらしい老人たち
電車に乗っていると、近頃、席を譲ってもらうことがあります。
外観、姿勢、容貌として、老人は老いていきます。
しかし、老いてはいても、人には必ず夢や志があります。
すばらしい老人を見ました。
それは見事に白髪の、カジュアルな服を着た男性が、座席で英語(?)の用語集を勉強している姿でした。
今は、新聞をたたんで読む人はいなくなりました。電車で文庫本を開く人もあまりいません。
皆が、独りで、スマホをのぞいている。
沈黙した車両で、その人の座席には明瞭な意志のきらめきを感じました。
どこか楽しそうに、彼は熱心にページを繰っている。すばらしいな、と思いました。
新しい語学に挑戦して、異国の作家の短編が読めたら、
それはすばらしい、と思います。
ノーベル文学賞とか、行ったこともない小さな国の作家の仕事に、直接、ふれてみたいです。
あるいは、トダメガネの老技師の姿に、私は心から感心しました。
突然、眼が痛くなって、まぶたに触れると痛みが頭を貫きました。
なにか深刻な脳の疾患でも発症したのか?
心配になって眼科に行くと、白内障でも緑内障でもなく、ドライアイと診断されました。
同時に、眼鏡の度が合ってませんね、というわけです。
新しい眼鏡のレンズを作ってもらうため、駅から少し歩いて、トダメガネに向かいました。
ここのおじいさんが、とってもすてきだ、と聞いたからです。
ドアを開けると、レンズを加工している技師がひとり、奥にいます。
枯れ木のような瘦身の老技師が、こちらに暖かい笑顔を向けて、小さな歩幅で、ゆっくり近づいてきました。
やあ、ほんとうに来てよかった。
医師の指示書を読みながら、老技師は私と、眼の状態や、傷ついた古いフレームについて話し合いました。
数日前、ランニング中に転倒し、すこし歪んでいたのです。
・・・まだまだしっかりしていますよ。修正して、使いますか?
翌日、老技師に会えるのが楽しみでした。
できあがった眼鏡を取りに、私はゆっくり、家から散歩しました。
持ち帰った旧いレンズを、机に置いています。
小舟で海を越え、あるいは、砂漠や密林を縦断する難民たちがいる、と読みます。守ってくれる政府はありません。
彼・彼女らに、その土地の言葉で、あなたたちの苦しみを知って、心から同情している、と伝えたい。
そして、難民キャンプの学校で学ぶ子どもたちには、
励ましの言葉を添えて、
眼鏡を贈ってあげたらどうだろう、と、私は想いました。