見出し画像

ゆく年くる年と言語知身体知問題

いやぁ、年末ですね。

見返してみたら、今年ブログ3回しか書いていませんでした。
しかも前回の投稿が4月なので、つまり、全然書いていませんでした。

まぁでもそれだけ充実してたということなんですかね、という適当な感じで良しとしましょう。

ただいろんな人の年末投稿を読んで、ワタクシも筆を取ったならぬnoteを開いたわけなんです。

でも1年間を振り返るとタラタラ長くなってしまうので、直近考えたことを書こうと思います。ブログとはそういうものだと思うので!


直近のビッグイベントとしては、祖母が亡くなりました。
今回亡くなったのは母方の祖母で、母方の祖父は私が生まれる前に亡くなっており、父方の祖父母は10年近く前に両方亡くなっているので、自分の祖父母はこれで全員亡くなったことになります。

今回亡くなった祖母には小さいころに書道を習っていたり、東京に住んでいることもあり一人で遊びに行くことも良くあったので、祖父母4人衆の中では一番近かった存在でした。



この話をすると、「ご愁傷様です…」と声をかけてもらえるし、まぁ自分でも友人の祖父母の逝去を聞くと同じ事を言うと思います。
でもまぁ、この年になってくると祖父母世代が亡くなるというのはそう珍しい話ではないんですよね

ちょっと調べてみたら、日本人って1日に平均3000人くらい亡くなってるんですよ。しかも祖母は日本人平均寿命くらいだったので、正直驚くようなことではないです。
多少認知症が始まっていたとは言え元気だったところ、デイケア(通い型老人ホーム的なところ)で突然倒れてそのまま息を引き取った(死因としては肺炎らしい)ので驚きはあったものの、年齢を考えたらそんなに珍しいことではないです。


最近読んだ本に、「言語知」と「身体知」という言葉が出てきました。
ざっくり言うと、言語知とは頭脳的に理解する知で、身体知とは感覚的に理解する知です。

「人は年を取っていつか死ぬ」「そうやって人間社会は受け継がれていく」ということは「言語知」としては知っていたのですが、祖母の死は「身体知」として改めて知る機会になりました。


祖母の葬式に出て、親世代がめちゃ泣いており、自分の属する孫世代が目を潤ませており、0~6歳くらいのひ孫世代が葬式が何なのかもよくわからずきょろきょろしたり飽きてきているのを見て、これぞまさに世代交代の縮図だなと思いました。

思い返してみると、自分も小さいころに曾祖父の葬式に出席して、なんだこの大量のじいさんばあさんはと思った記憶があります。
ちなみにその葬式に来ていた大叔父(祖母の兄弟)のチャックが全開で、20年上経った今でもその人は我が家では「チャックのおじさん」と呼ばれ続けているため、今回の葬式でもチャックが閉まっているかは入念にチェックしました。


葬式に飽きて親戚の服装チェックにいそしんでいたひ孫世代だった自分も今は孫世代として葬式に出席しており、次は子世代として泣きながら葬式に出席することになるのかな、とかをお坊さんの木魚の音を聞きながら思ってました。

そういう意味では、普段から「ピンピンコロリで死にたい」と言っていた祖母は、その発言通りにきれいのこの世を去り、そしてしっかりとバトンを渡して世代交代を成し遂げたと言えるでしょう。


幼少期は、基本的に身体知を先行して学びます。「これは甘いんだ」「これは痛いんだ」等々、まずは体験してみてそこから学んでいきます。
大人になってくると、言語知優位になっていきます。「この食べ物はPFCバランスがいい」「この素材と形状からして素手では触らない方がいい」等々、既に言語として得ている知識を動員して物事を理解します。

ただ、知識というのは「身体知」「言語知」の両方で理解して初めて自分のものになります。
「人が老衰して死ぬ」ということは言語知としては知っていましたが、今回祖母の死で「これが人が老衰して死ぬということか」という身体知を知りました。祖母は言語知としての死は子孫たちには語りはしませんでしたが、身体知としての死を子孫たちに教えて亡くなったんだと思います。


藤井風結構好きなんですが、「帰ろう」という曲の歌詞を思い出しました。

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えれられたもの
ありがとう って胸を張ろう
幸せ堪えぬ場所 帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物手放そう

「帰ろう/藤井風」

きっと祖母も、自分の曾祖父母の葬式によくわからんまま出席し、自分の祖父母の葬式に涙目で出席し、自分の父母の葬式に泣きながら出席し、そして自分が与えられたものを子孫に与えて旅立って行ったのかなと、藤井風の曲とは全く異なる木魚のビートとお坊さんのお経ラップを聞きながら考えてました。

世間から大注目を集めるわけでも何か偉業を成し遂げたわけでもない祖母の人生でしたが、「長い間人生お疲れ様でした」と心から祈って送り出しました。
早いうちに夫を亡くして40年近い夫婦別居生活となっていたので、これからは二人で楽しく過ごして欲しいものです。


2022年も終わって2023年が始まるわけなんですが、しっかりといま自分が何を感じているのかという身体知も重視しつつ、でも書籍等での言語知の習得も怠らず、良き1年にしていきたいと思います。


ちなみに、告別式の後親族一同で祖母宅に行った際、従姉妹の小学2年生の女の子に扉越しに変顔を披露して爆笑してもらうことにいそしんでいたんですが、最後に渾身の変顔をしたらギャン泣きされました。
20年後に「変顔おじさん」と呼ばれることのないよう、こちらについても精進していきたいと思います。

それではみなさんよいお年を!

サポートいただけると、それはもう尋常じゃないくらいに喜んで、歓喜の歌を鼻歌で歌いながらYUKIの歓びの種を口で歌うことにチャレンジします。