coda あいのうたを観た。すばらしかった。 ストーリーや設定もそこまで新しいものはないし 突飛な展開もないんだけどラスト前の演出で一気に引き込まれた。 感情移入できる対象が180度変わった。そこからの展開が素晴らしかった。 ヒトは他人をわかっているつもりでも そんなことは絶対にない。40%くらいしかわかってないのかもしれ
プレッシャーがかかるのは嫌いだ。 できれば一生プレッシャーなんていらない。 仕事プレッシャーがかかると一日ずっとその言葉ばかり考えてしまう。 何にも心から楽しめない。 これが一生続くかと思うと憂鬱になる。 でも、その一方で心が昂っている時もある。
いやな案件、クライアントがある。 とにかく話が噛み合わない。話が合わない。 自分の実力の100%も発揮できない感覚に陥る。 さらにクライアントの責任者は中なプレッシャーが強くて 心理的安全性ゼロ。 仕事だから仕方ないが このクライアントの案件をやっていると 毎日憂鬱になる。(仕事内容も単純作業なんで) この憂鬱さも「エゴ」だとするなら この「エゴ」を見つめて無心にやるしかないのか。 自分の成長の糧になるのか。 もう少し時間をおいて見てみよう (一年くらい
自分のエゴが暴れ出す。 面白い時、楽しい時、イラッとした時、ヘこんだ時、 そんな時はいつも「心の中の自分=エゴ」がいる 蠢いている、叫んでいる。 エゴはいつも自分の体を突き破って 他人を攻撃する。傷つける。苛立たせる。 エゴってやつは正直ろくなもんじゃないと思う。 (私に限ったことかもしれない) 自分の中のエゴを自覚する。 そうすれば私自身をもっと俯瞰で見れる気がする。 そしてもっと他人とうまくやれそうな気がする。
プレゼントを贈られるのは好きじゃない。 子供のころから贈られたプレゼントに満足したことが ほとんどない。むしろ意気消沈してしまうことの方が多い。 小学校6年生の時のクリスマスプレゼントが すでに持っていたミニ四駆ファイターマグナムVFXだったときは 流石に親にがっかりした。 多分、僕は他人に期待しすぎるタイプなんだろう。 だからハードルが高くてがっかりする。だから期待しないよ
「かしこまりました」は好きじゃない。 相手に考えること、脳ミソを全部渡している気がするから。 「了解しました」の方が考えてる態度が出ている気がする。 世間はどうやら違うらしく 「かしこまりました」は敬語として正しく丁寧な表現。 「了解です」はという言葉は「さとり会得する、理解して認める」という意味で謙譲表現が含まれていないという。 36歳になっても敬語も満足に使えないダメ人間 といえばそれまでなんだが。
朝、僕は風呂に入ることが多い。 前日の夜にクタクタで帰宅してそのまま寝てしまうのも理由の一つだが もう一つの理由として「アイデアを閃きやすい」からだ。 閃きに大事なのは思考の緩急だと僕は思ってる。 考え抜いて考え抜いて全速力でずっと考え抜くことは人はできない。 (できる人もいるんだろうが) ふとリラックスして思考の外に出た時に 今までつながらなかった点と点がつながる。 そんなことがよくある。これが緩急だ あと人は寝てい
邦画を観ることに抵抗がある 洋画は苦もなく観れるのだが邦画だと躊躇してしまう。 自分はもともと映画業界を志望していたのだがうまくいかず 別な業界で働いている。 たぶん、自分が行きたかった世界(映画業界)で働いている、成功している人を想像して嫉妬や後悔が湧いてしまう。 「嫉妬するってことは自分の努力が圧倒的に足りてないってことだ。」 あー、努力しよ。 あと浅草キッドめちゃくちゃ良かった。
仕事がうまくいってるときは 周囲に感謝できている。 仕事ができている人ほど自分のちっぽけさや できなさ加減を知っている。 おれがおれがの我を捨てて おかげおかげの下で生きよう。 って上司と飲んで話した週の真ん中水曜日。
今年の目標、 ヒーローになること。 今思えば自分は結構斜っていた。 先輩や後輩の成功を妬んだり、 ネガティブな発言をしたり、 難しいことは予防線を張ったり。 今年はそういうものを一切やめようと思う。 斜に構えるのではなくストレートな ジャンプな漫画の主人公みたいに生きたい。 36歳だけど。
今日は2022年1月11日。 天赦日と一粒万倍日が重なる最強の吉日(らしい)。 何かを始めるには最良の日だと 僕が愛聴しているバナナマンのラジオで行っていたこともあり 長年なかなかはじめられなかった日記を始めてみようと思う。 できれば毎日続けたい。でも多分無理だと思う。 生粋の三日坊主の自分がもし一年、この日記を続けていられたら 最強の吉日のご利益だと思う。