静的な感情
感情が脳内の乗っ取りに成功したサピエンスが行き着くのは、何かしらの行動に制御をかけて、動くことをやめるということだと思う。
この際、脳内で、どんな内容の思考を行なっているか、どんな物語を生成しているか、はそれほど気にすることではない気がしてきた。
行動を起こすまたは継続するか、行動を実行しないもしくはしていた行動を止める。この2択の構造でだけ考えればいいのでは?と。さらにいえば、2択のうち、より大きな動的な変化が見込める選択肢をとり続けているかどうかも判断基準としては妥当だと考えている。
なぜ、感情に起因した意思決定が揶揄されているのかが最近腑に落ちつつある。
それはやはり、感情が静的な結果を促すものであるからである。なぜ静的な結果を促すのがよくないのか?それは、この世が動的であるからである。
あらゆることを差し置いて、動き続けることがどこまでも前提になる世界だからだと筆者は考えている。動的で動き続けないといけない場所で、静的な選択肢をとり続けていると、どん形勢が悪くなっていることはなんとなくでもわかるきがする。
だが、感情というのはサピエンスのデフォルトに存在しているものであり、感情がブレーキの役割を果たしていると気づいたとしても、感情からの支配から逃れられるわけではない。さらに、感情は必死に動かないで済む、もっともらしい洗礼された物語を生成してくる。
ではどうするか?
それは理性的に行動することだとも思う。
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