サラリーマン辞めて夜逃げして絵描きになった話
こんにちは〜。日本を拠点にオーストラリアで生活してるフルタイムアーティストのhitchです。いろんなところで大きな絵を描いて生活しています。
新型ウイルスで日々大変ですね。今年はいろんな国で絵を描こうとしていたので予定が丸崩れです。その分とても暇になったので、なんか書くことないかなとnoteに向かった次第です。こないだワッフル食べました。
今日は「夜逃げした話」を書きます。
正確には「サラリーマンやめてiMac抱えてチャリで夜逃げして絵描きになった話」です。僕の実話で、ちょうど10年前のこの春の話になりますね。実はアーティストとして身を立てる前に新卒で数ヶ月だけサラリーマンをしていました。
この春新卒生として社会に出る学生や社会人一年目、コロナでお暇で僕の駄文を読んでくれる方に向けて書きます。※ちょっとボカしたりダミー入れてます。
就活の理由と志望業界
そもそも学生時代から続けていた作家活動をおして就職活動に取り組んだのは、作家活動だけでは生活が出来ないと見切ったからでした。思えば酒ばかり飲んで加藤登紀子の「時には昔の話を」な暮らしを送っていましたが、魔法が解けたんですね...
在学3年目から取り組んだ就活を功を奏して、卒業までに4社の内定をもらいました。就職先を選んだ理由は給料が良かったのと、東京勤務なのと、自分の時間が作れると思ったからでした。(もう崩壊が見えるわ。今思えば全てが打算的で自分に自信がなくて、それを手の届く結果で取り繕おうと必死だったんだなー...)
春から新卒で上京しました。
就職先は関西に本社を置く、パッケージの企画/製造会社の東京営業支店でした。当時僕は美大でグラフィックデザインを専攻しており、大学からの紹介で今後デザイナー/企画職となる前提で関西本社で内定をいただき、東京支店で務めることになりました。
東京支店や仕事内容については、長くて面白くないので割愛しますが、いわゆるブラックだと思ってください。愛のカケラもない漫画「宮本から君へ」って感じの雰囲気です。労働時間の長さと社員の圧力で、心身ともにボロボロになります。入社してから知りましたが、前年に入社した社員も夜逃げしたという歴史ある社風。
夏には限界が来ました。
毎日数時間しか眠れないし、目の前で何度もなんども怒鳴られる日常は、自分に非を求める思考になっていきました。
例えば自分がもっと人と話すのが好きで、仕事が好きなら続けられるのか?人のヨイショをしてニコニコするのが苦じゃ無かったら続けられるのか??会社が悪い/自分と合っていないのは明らかなのに、自分の若さに非を求めては何処にも進めなくなっていました。
そんな時よく思い出す出来事がありました。まだ美大生の頃、デザインの演習課題に嬉々として取り組む同期の姿です。僕はデザインは勉強/好奇心として面白かったし適度にこなしてたけど、彼は日々奮闘して立ち向かっていて、なんか「好きってこう言うことなんだな」って羨ましかったんですよね。その時、自分はデザインでは頑張れないって痛感しました。彼ほどそれが好きではない自分に気づいたし、好きになれないことも少し悲しかったし、この先これを仕事にしたら劣等感抱くだろうなって。
同じことを会社でも思いました。確かに僕は職場の上司が嫌すぎて吐き気がしてたけど、何よりこの仕事が全く好きでは無かったんだな。好きなことだったら耐えられるけど、好きでもないことで長時間は耐えられない。
辞職を決めたのは、そんな地獄の職場の環境以上に、自分がやりたいことを仕事にすべきだという意志からでした。
「もー遅いかもだけど辞めてちゃんと絵描きになるか。」
たぶん絵ならずっと描いてても辛くない。本やネットで知るアーティストって職業はほんと小難しくて狭き門で全然ムリムリだったけど、自分が学生時代から知ってる先輩絵描きたちは好きに楽しそうにやってるよな。それと自分信じてやってみたら行けるんじゃない?
正直にいうと自分は絵が燃えるほど好きなわけでもないはずです。ただ、絵ならほんとずっと描いてても辛くないし、絵なら自分なりに試行錯誤して行くことが楽しい。これが好きってことかもな、と思いました。
あとよく言う「3年勤めてから辞めるべき」というのは、あくまで本人が思えばこそであって、他人に言われて納得すべき呪いじゃないと思います。
そっからの行動は早くて、結果夜逃げに至ります。
春から履き始めた革靴のソールが早くもハゲたころ、部長に辞表を渡しました。外回り中の昼過ぎに事務所に引き返し、部長フロア(部屋じゃなくてフロア持ってやがんの)をノックして、話があることを伝えたのでした。
渡した辞表はすぐに突き返され、「お前はそう言うと思っていた」「まだ会社に何も返してないぞ」「今やめたら何処でもやっていけないぞ」と定型句が大声で並びます。しかし次の一言には驚かされました「いまから飲みに行くぞ」
こっちは日々眠れず死に体で訴えたのに、まともに考える時間もないから辞めさせろって言ったのに、何を言っても頑として譲りません。
結局僕が折れて、昼から飲みに行きました。おそらく意図としては「酒でも飲んでお前の悩みを俺にぶつけろよ」なのか?...と無理やり自分を納得させました。しかし次に気づいた頃には夜2時を回り、そこには場末のスナックでいつも通り部長の歌う「奇跡の地球- 桑田佳祐&Mr.Children」に合わせて手を叩く自分がいました。
ふむ。。。。ぼくは全てに嫌気がさし、家に帰ってそのままiMacを抱えて自転車で夜逃げしました。
実は辞表を受け取ってもらえないのは想定内でした。話してわかる人じゃないので。事前にいくつか準備もしていました。社宅の荷物は社員の留守をついて堂々と引越し業者に委託していたし、辞表も用意していた別のものを内容証明で本社に送りました。ベストなやり方ではありませんが、とにかく早く辞めたかった。
いろんな人に迷惑かけて申し訳なく思います。たしかに仕事にやり甲斐は無かったし、上司には吐き気がしてたけど、結局ハンパに選んだ自分こそが選択を誤ったことに違いないと今でも思っています。手痛い勉強代の代わりには、東京で今でもお世話になる繋がりもできたし、なにより覚悟が決まりました。
まとめ
一応ですが、別にサラリーマンを辞めてフリーランスになることは推奨しません。自由になった反面、食えずに死ぬ可能性は今後一生付いて回るし、仮に自由を削って金/スキルアップ/短期目的の為に身をやつすことが悪いことだとは僕は思いません。
単に自分にはそれが出来なかったし、今出来ていることに自信もって後悔しないことが幸せかなって思います。選んで後悔しない道を探すのは難しいけど、選ばなくて後悔する道は長く引きずるんだな、って。
あの時は冷静に道を選べなかった。(あーーーんなに時間があったのにな)
とはいえ僕は今の暮らしがすごい好きです。日本を拠点にしながら絵を描いて、海外で集めた仕事を一定期間でまとめて回って絵を描いて(まだとても道半ばですが)。楽だし楽しいし、周りからも感謝される。僕も感謝し返すし、人との豊かな繋がりが出来る。さいこー。
さて。今日はこれで終わりです。
またどこかでお会いしましょ〜