
#1 - Tetsuya Ishida "My Anxious Self" (Gagocian)
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毎月たくさんの展示に足を運んでいるのに、それに対してアウトプットするということを何もしてこなかった。なんだか自分の記憶の奥底にとどめておくだけではもったいないなと思った。なので、これから少しずつカジュアルに、行った展示の記録や思ったことを記していこうと思う。
これは展示の批評ではない。それよりも、思ったことを思った通りに書いたり発信してみる練習として。思ったことをそのまま発信していいんだ、と自分を慣れさせるための試みであり、見たものを見たままで終わらせないための試み。
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#1
ニューヨークのガゴシアンに、日本の石田徹也がくる!
かなり前にそのニュースを知って心待ちにしていた。
確か、高校生くらいの時に彼のことを知って、心に残っている作家だったからだ。
かなり会期終了間際だったが、なんとかスケジュールを合わせて見に行くことができた。

初期から晩年まで、コレクターや美術館から作品を集めた回顧展となっていた。最初の部屋には大作が何個も。もう初めから吸い込まれるように見入ってしまった。日本、特に東京の独特の雰囲気がよく表現されていて、文化的なディテールの描写に圧倒され、心はもう、一気に日本に引き戻された。都会の陰湿な雰囲気、社会の一歯車としての若者の不安、恐れ、諦め。東京にいた時に漠然と感じていたものを思い出した。
作品は90年代に描かれたものが多く、モチーフや情景にノスタルジアを感じさせる。(ATMやレジ、公衆電話など)ニューヨークにいながら、こうした日本の現代社会独特のレファレンスに包まれ、感情的な気持ちになることが、不思議だった。
どの絵も、深く私と結びつき、涙ぐんでしまうほどだった。
この作品は、発泡スチロールの質感の描写がすごかった。そこに1番目がいったかも。母親的人物の目が赤くなっていた。

Acrylic on board
145.6 x 206 cm
57.3 x 81.1 in
Collection of Nick Taylor
これはもう、現代人の姿。
下部の電車とプラットフォーム、その間の隙間のラインが湾曲しているところが構図の巧みさ。鑑賞者はまあるい(魚眼レンズ的な)人間の視界を通して、四角く直線的に固められた荷(人間たち)を見る。

顕微鏡は面接官。ミラーにうつる青年の表情。隈なく見られる履歴書。面接をしている面接官3人もコーポレートカルチャーによって作られた機械なのでしょう。

これは見た瞬間なんとも言えない気持ちになった。ATMで用を足す男性たち。ATMの形やスタイルが、平成初期って感じがする。懐かしさ。

寂しい。けれどもどこか安心感を与える作品。石田徹也はこれと同じような作品を何個か作っているが、これは彼にとってどんな意味を持っていたのだろう。

彼の作品には、彼の無力感が反映されたものが多い。無力なので、モノや虫や風景と一体化している。なすすべ無し、と諦め横になっていたら、体が透明になって周囲と溶け込んで、自我というものが失われそうだ、そんな感じ。自分も鬱が酷かった時、自室で動けずに、このまま布団と一体化してしまうんでないか、と考えたことがある。そんな昔の感覚を思い出させる。
展示の最後の部屋にあった大作。
この絵のタイトルは『捜索』。真っ昼間から、横になって、生きる意義を探していたのだろうか。ここにも現れる構図の巧みさ。窓枠と外に人がいる描写でどんな家なのか想像できる。

ディテール。

*写真は全て私が現地で撮ったもの
石田徹也は、こんなに素晴らしい作品を残して、31歳という若さで亡くなる。長く生きていたらどんな大作を残していただろうと考えてしまう。でも、日本から出ずに活動していた彼が、亡くなった後に作品が評価されて世界中で展示が行われ、ついに現代アートを代表する巨大ギャラリー、ガゴシアンで回顧展が行われるというのは、本当にすごいことだ。日本人として誇りに思う。ある記事を読んでいると、亡くなった際に彼の財布には米ドル札が入っていたそうで、現代アートの聖地であるニューヨークに行きたいという意思が生前あったのではないか、と書かれていた。生きて来ることはできなかったが、彼はアーティストとしては最高の形でニューヨークに訪問できたのではないか。
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