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得意なことはルーツにあり
本でもなんでも心動かされる言葉は簡単に忘れるものではなくなんとなく頭の片隅に残っているものです。
そんな記憶の中でとても腑に落ちた言葉だったのがタイトルにある、得意なことはその人のルーツに隠されていることがあるというもの。
その人の家系が主に取り組んできたこと、それが遺伝子レベルで引き継がれていることがあるそうです。
例えば商店を営んでいた家系なのであれば物を販売する能力に長けているかもしれないし、医者や先生など人に向き合う職業柄の多い家系であれば話を聴く力(コミュニケーション能力)が人より高いこともあるでしょう。
私のルーツを簡単に思い浮かべてみると、やはり創作が好きな人が多い気がしています。
特別それを販売して商いをしていた訳ではないですが、母はハンドメイドが好きで鞄やポーチそれ以外にも様々なものを器用に製作していました。
幼稚園の頃は園内で着用する服の上に、当時好きだった戦隊ヒーローの刺繍ワッペンを取り付けてくれたり、普段使用する手提げ袋なども手作りしてくれました。
この時の記憶が今でもあるくらいなので当時は本当にお気に入りだったのでしょう。
小学生になると家で国語の教科書を朗読するという宿題が出された時に、読んだという印の意味で専用の用紙にハンコをもらうというものがありました。
先生からしたらその読んだという結果が確認できれば印など印鑑で十分だったでしょう。
しかし母は当時大好きだったポケモンのキャラクターを手書きでその用紙に描いてくれたのでした。
どれほどの時間をかけてくれていたのか、はたまた絵の才があったのかは分かりませんがそのクオリティに衝撃を受けたことを覚えています。
きっと音読を継続させるための親心もあったのでしょうがその反面、先生がどんな反応を示すのかというのを間接的に楽しんでいたのではと思います。
母のこういう細かいところにこだわる性格は今の自分に重なる部分は大きいです。
そこまでやる必要性はないのに、だからこそやりたくなってしまう性分。
最近母に会った時、どうして自分はこんなにこだわりが強い人間になってしまったのか尋ねてみたのです。
普段私の生活の話をするとお金の使い方や未来の話をすると、決まってもう少し考えた方がいいとか勿体無いと言われることが多いのですがこの問いに対して、母は意外と私もそういうところがあったと答えました。
母の言動はあくまで親としての行動で、人間ベースで見ると私の価値観と近い考えを持っている人なのでした。
無意識的に私は母の人間的DNAを引き継いでいていたのです。
私が創作好きでこだわりを求める人だと言うことを確かにルーツから見ることができました。
得意なことっていうのは当たり前のように自然にできてしまうことが周りからするとそうではないことだと考えます。
そしてそれは気が付いたら積み上がっているもので、長い時間をかけて培われる能力なのでしょう。
自分で認識することもありますが、こうしたルーツを思い返すと祖先の時代からそれを得意としていたり自分自身も本当は得意だったということを思い出すきっかけになるかもしれません。
いい意味でも悪い意味でもルーツあっての私です。
今あるものを大切にそしてそれを更に磨いていけたら理想にまた一歩近づくことができるのかなと思った次第です。