不思議な和尚さんに出会ってしまったからだよ
「この本いいよ、土井さん知ってるでしょ?ヒマなら読んでみなよ」
先日弟が家に来てぼくに手渡してくれたのが、料理人の土井善晴さんの著書。
今住んでいる家は元々父の実家で、ぼくが住みつくまでは弟が住んでいた。だから本大好きな弟の蔵書で溢れかえっている。その中からなぜか彼はこれを出してきた。
幡野さんを知るキッカケも彼だったので、きっと弟はエスパーなんだと思う。ぼくが必要としている何かをそっとアシストしてくれる。元日本代表の遠藤保仁選手のような、やさしいパスを的確に出してくれる。
遠藤選手がさらっとPKを決めるように、しれっとした顔でデカイことをやり遂げる。
今日から彼を「やっとさん」と呼ぼう。と心の中だけで思っておくことにする。
お名前とお顔は知っているけど、実は土井さんが出ている料理番組を見たことがない。
大泉洋さんが番組でモノマネをしているのを見たことがあるだけだ。
で、読ませていただいた中で最も印象深いのは、土井さんの文章の綺麗さと優しく伝える力だ。きっと繊細な緻密さと経験の裏付けによって作られる料理は美味しいんだろうなぁと想像できたのだ。こんなことは初めてだったので、早速今夜は「一汁一菜」にしようと思い台所に立ってみそ汁を作り始めた。
その時、いつものあれが来た。
思い出したのだ、キッカケを作ってくれた人を。それは和尚さんだった。
今回はちょっと長い。6000文字近い。だから途中で飽きちゃうかもしれないことは記しておく。これって、本当は禁句なんだろうけど。時間は有限だから。それと、宗教的かつ信じがたいファンタジー要素もふんだんに盛り込まれているので、苦手な方はまた別の機会に違う記事を読んでもらいたい。きっとまた来てくれるとぼくは信じてる。知らんけど。
なまくら和尚さんと出会う
静岡の大叔母に会いに行くのが毎年夏休みの恒例行事だった子どもの頃、その存在は全く知らなかった。ちゃんと和尚さんと対峙するキッカケはぼくが高校を1年も通わずに辞めてしまった16歳の夏だ。
「いろいろ悩んでることがあるんだったら、静岡の坊さんのとこにでも行くか?」
父がそういったと思う。相変わらず細かい記憶が怪しいけど、曖昧な記憶を言い切ってしまうと嘘になるので、そういう時は「思う」と言わせてもらうことにする、ごめんなさい。
その前にも何度か会っていたと思う。だからこそ、和尚さんならぼくの悩みに答えてくれるんじゃないかと期待して、すぐに荷造りを始めた。
元々和尚さんは大叔母の知り合いで、届け物があるからと車に乗せられてお寺を訪れたのが初対面。もうその時点で80歳を超えていたらしいし、本人も「年齢なんか忘れたわい!んなもん、ただの数字じゃ!かーっかっかっ!」と言っていた。豪快だ。水戸黄門か。
豪快な和尚さんのイメージってとにかく”デカイ”って思うでしょ?いいえ、この和尚さんめちゃくちゃ華奢だし背も決して高いほうじゃない。すでに腰が少し曲がっていたから本当の身長は知らないんだけど。
じゃあなぜぼくが豪快な和尚さんと表現するのか、こんなエピソードを聞いたからだ。
ダメな大人を極めた男だった
大叔母がよく和尚さんの昔のエピソードを話してくれた。
元々お寺が今ある場所に住んでいたわけじゃなく、別の場所で町工場を経営していたんだとか。経営がいい時は羽ぶりもよく、性格も明るく人懐っこい人だったからいつも周りには仲間がいたそうで。情も深かったのか、知人の借金の保証人になったりもしていたそうだ。
会社経営をしている人、していた人はわかると思うが、突然経営が傾くことがある。キッカケは色々だ。時代もあれば裏切りだってある。
彼の場合ぜんぶだった。工場や土地、家など金目のものは全部なくなったのだ。
そして彼の元から誰もいなくなった。大切な家族さえも去っていったのだ。
そんなある日、車を運転しながらどうやって死ぬかな?と考えを巡らせていたようで。
運転をしている時に考え事をしている時は良いことなんかない。そのままガードレールに突っ込んだ。考えてはいたものの、自分の決意とは関係なく死の淵を彷徨ったのだ。
死にたかった彼は、一命を取り留めた。そこから彼は人が変わったかのように様々な善を突き詰めて、あっという間にお寺の住職になったそうだ。
こんな話を聞いていたからこそ、初めて会った時だって豪快さを感じたし、見えるはずの無いオーラが見えたような気がした。
飯は大切だからしっかり食え!
16歳の夏に話を戻そう。毎朝5時に起きて布団をたたんで掃除をする。ご本尊があるところの近くまでは全部ぼくの掃除範囲。最後にご本尊の周りをちょこちょこっと綺麗にして、たくさんある仏像に対してお供えをしていく。
めんどくさいのかスルーしている仏像もあったりして、ん?この和尚怪しいぞ、と思い始めた。ぼくと同じ匂いを感じたんだ、決して悪い印象じゃない。あくまでも個人的にはね。
掃除している間に和尚さんは朝食を作ってくれる。
お寺っていうと、三食すべて質素な精進料理だと思うでしょ?全くそんなことはない。味噌汁と白米はデフォルトであるんだけど、それ以外は和尚さんの気分次第。ぼくにリクエストを聞いてくれたこともあった。目玉焼きに厚切りベーコン、ジブリ映画さながらの朝食風景だ。
お互い6時までに一通りやることを済ませて本堂で座禅する。日によって長さが違ったが、15分から20分くらいお経を読む。今思い出してみると、ぼくがお経を覚えやすいようにキリのいいとこで区切って終わらせてくれていたんだなと思うと、なんだか涙が出てきた。
涙のせいでモニターがぼやけて文字が見えないって文章を見たことがあるけど、こんな見え方がするんだね、とりあえず天井を見て落ち着きながら書き進めます。
昼は外出することが多かった和尚さんは「適当に食べとけ!いっぱい食うんだぞー!」と言って車で出かける。そう、和尚さんは九死に一生を得たにも関わらず車を運転しているのだ。なぜなんだろうと思い、その日の夜に質問してみた。
「和尚さん、車で事故って死にそうになったのになんでまだ運転してるの?怖くないんですか?」
「ん?あぁ、便利だからじゃよ。」
えーーーーーーそれだけ?
確かにど田舎だから車が無いと生活するのはめちゃくちゃ不便だけど。
「あとな、死にそうじゃなくて、わしはあの時一回死んだんじゃよ。で、今本堂にあるご本尊さんにこっちの世界に戻されたんじゃ。だから、なーんにも怖いもんなんかないんじゃ」
はーーーーーーーーーーー?
ぼくは触れてはいけない箱、パンドラの箱ならぬ”和尚のビックリ箱”を開けてしまったらしい。
開けでビックリ和尚箱
ぼくはビビりながらも興味津々、開けちゃいけない箱ほど開けたくなるし、押しちゃいけないボタンだって押したくなるでしょ?で、パカッと開けてみた。
「一回死んだってことは、天国に行ったってこと?」
「んーこれを説明するのは難しいんじゃが・・・事故をする前に考え事をしておってな、その時はどうやって死ぬか考えていたんじゃ」
(お、これは大叔母から聞いたぞ、本当だったんだ)
「でな、ぼーーっとして運転してたら突然両肩が重くなってな。前を見ながら目の端に見えたものがあったんじゃよ。足じゃ足。わしの両肩に誰かが立っとるんじゃ」
そんな風になるんじゃないかって少し期待していたぼくを裏切らない展開!
にしても衝撃すぎる展開である。
「わしもビックリしてよく見たんじゃが、足は車の天井を突き抜けておっての、普通ありえんじゃろ?とにかく両肩は重いけど、窓からなんとか顔を出してみようと思ったんじゃが動かない。そんなことをしていると、ふーーーっと魂が抜けたようになったんじゃ」
おっと、ここで幽体離脱だ、話にどんどん引き込まれていく。
「抜けた魂から自分の視界で自分の運転している車を見てるんじゃ。そしたらな、やっぱりいるんじゃよ、車の天井に足を突っ込んで立ってるんじゃよ、仁王様みたいなおっかない顔した奴がな」
残念ながら、ぼくの記憶ここまでである。その後和尚さんは他の人が見えないようなモノが見えるようになったり、不思議なパワーが自分に宿ったらしい。そして自分が生かされた意味を探るべく仏門に入ったというわけだ。残念ながらぼくには見えないし不思議なパワーもない。でもその一端をその後聞くことになる。
ケムに巻かれたような体験だってさ
この話はぼくの実体験じゃない。社会人として仕事をしていたのか静岡に行くことができなかった時に、母と弟が実際に体験した話だ。
ある女性が体調不良に悩まされていたらしく、和尚さんの寺を訪れたらしい。
で、本堂にその女性を上げてお経を読み始めたんだって。
その場にいたのは母、弟、静岡の大叔母とその娘と孫娘だ。
実は大叔母の娘たちにも不思議な力があるらしいんだけど、それはまた別の機会にでも。
お経は全員で唱えてたらしいんだけど、ぼくの母と弟はそもそも信心深く無いし、お経なんて志村けんの「だいじょぶだぁ〜」くらいしか知らないレベルだから唱えられるはずも無い。
お経が中盤に差し掛かった時、本堂で焚いていた線香の煙が女性の方へ向かって行ったそうだ。そもそも戸は閉まっているし、隙間風も無い。その煙が女性の周りをグルグルと巻いていく。すると、頭のてっぺんからその煙が天井に向かってスーーーット登って行ったそう。
和尚曰く、彼女に蛇が取り憑いていて、それが煙として天に登って行ったそうだ。
いやいやいや、信じがたい。でしょ?信じがたいよね?でもね、ぼくの家族はぼく以外は嘘つく人たちじゃないから信憑性は高いよ。
ってお前の信憑性ガタ落ちだぞ!自分のクビしめてるぞ!
まぁ、そんなパワーの持ち主ってことです。
朝のお経中、死ぬかと思った
毎朝の日課でお経を唱えてる時、ちょっと香ばしい匂いがした。
実はこの日、2人して寝坊したのである。
確か、前夜に色々話していて夜更かしをしてしまったんだと記憶している。
だから、ぼくは掃除を焦って終わらせ、和尚さんは焦って朝食の準備をしてくれていた。
きっと今朝はアジの干物かなにかを焼いてくれているのだろう。その香ばしい匂いが食欲をそそって来た。
それも束の間、あっという間に本堂まで煙が充満して、息も苦しくなる。
(こ、これはなんだ?修行の一環ですか和尚!?)と思いながら和尚を見ると。
気付いてなーーい!
そうか!これは修行に違い無い!見えないどこかで特殊なお香でも焚いているんだ、きっとそうだ。
まてよ、にしては喉がひりつく痛みだ。和尚、さてはお香の分量を間違えたな!?くそー和尚め!と心の中でブツブツ言っていた時だ。
和尚さんが目を開けた。なので思い切って聞いてみた。
「和尚さん、なんか煙たくないですか?これって修行の一環のお香とかですか?」
と全部言えたかどうかは覚えていないが、今まで見たことも無い顔でこう言った。
「いかーーーーーーーーーーーん!!!み、みそ汁の鍋に火をかけたままじゃった!!」
うぉおおおおおい!和尚よ!和尚さんよ!あなたとここで死ぬつもりはないよ!勘弁してくれよ。
これまた見たこともないスピードで和尚さんは台所に向かって行く、煙をかき分けて。
その姿は今でも忘れない。決してカッコいいものじゃない。さながらドリフのコントに出てくる和尚さんの背中だ。
みそ汁を空焚きしていた火を消して、戻ってくるなり和尚さんは言った。
「いやぁ、死ぬとこじゃった。わしは全然気づかなかったが、お前いつから気付いてた?」
「結構前から気付いてたけど、特殊なお香かなと思ってて・・・」
「んなもんはない!なんでもっと早く言わんのじゃ!わしゃまだあっちに行く予定は無いんじゃ!」
知らんがな!!あなたの予定は置いといて、ぼくの命の予定も気にしておくれよと思った朝6時15分ごろのお話だ。
生と死はすぐそこにある
この日の夜、ぼくと和尚さんは生と死について話した。今朝死にかけたし、1番聞きたかったことでもあるから。
「和尚さん、死後の世界ってあるんですかね?ぼくは死ぬのが怖いんですけど」
「そうなぁ。あるかもしれんし、ないかもしれん。わしが知っていることがお前の答えじゃないことだってある。だからなんとも言ってやれん」
(そんな濁されても逆に困るんだけどな)
「ひとつだけ言えるのは、死は恐れるものじゃないってことじゃ。いつもそばにある」
「へ?全然わかんないんですけど。今もぼくのそばにあるってことですか?」
「そうじゃ。赤ちゃんが生まれた時、最初にオギャーと泣くことは知っているよな。あそこから人は人として、生(せい)が始まる。そして呼吸を始めた途端死に一歩近づくんじゃ」
「は、はい・・・」(当時は全然わかってなかった)
「でな、息をするじゃろ、そして吐く。その一瞬の間に一旦死んでいるんじゃ、誰しもが」
(だめだ、もうついていけない・・・)
「呼吸が止まるということは、死ぬことと一緒じゃ。だから、呼吸をするたびに人は一瞬でも死を経験している。なっ、死はすぐそこにあるじゃろ、だからむやみに恐れる必要も無いし、死について毎日毎日考える必要も無い。ただそばにあるということだけ心に留めておけばいいんじゃよ」
この話を聞いた16歳のぷるぽは訳がわからなかった。でも今なら分かる気がする。
あくまでも気がするだけだが今日もこうして息をしている。
みそ汁を自分でつくること
1人暮らしを始めてから、たまにみそ汁を作る。
でも和尚さんを思い出すことはここ10年くらい無かったんじゃないだろうか。
最後に会ったのも、13年前にぼくの父が亡くなった時に位牌を持って会いに行ったときだ。その時の会話は残念ながら覚えていないし、和尚さんがいつ亡くなったのかもぼくは知らない。大叔母に聞けば教えてくれるけど、それはまた今度にしよう。
なぜこのタイミングだったんだろう、と書きながらずっと考えていた。
父の13回忌の年だからか、ぼくがモヤモヤした日々をすごしているからか、コロナで日本が大変なことになってるから、いろいろ理由が出てくる。
きっと全部正解であって、もしかしたら和尚さんがそう仕向けたのかもしれない。
ぼくは幽霊をはっきり見たことは無い。お墓がある寺の宗派は曹洞宗らしいけど、全然わからない。
でも目に見えるものが全てじゃないと感じている。
感じ取ることはできる。父や先祖たちや和尚さんの存在を。
もしかしたらぼくのそばでみんなが、あーでもないこーでもないと議論しているかもしれない。
にぎやかなことはいいことだ。
弟から手渡された土井善晴さんの書籍を読まなければ、きっとみそ汁を作ろうと思わなかったし、和尚さんを思い出さなかったよ。
今回この記事に関わってくれた、生きてる人も死んでる人も、ありがとう。
涙しながらも、楽しく書けました。
おしまい。
さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!