生きる意味ってわからへんねんな、ホンマに。
生きる、という事の意味をふと考えることがある。それが今日だった。
なんで今日なんだろう?と思ったんだけど、どうやら昨日の地震と関係があるっぽいって気付いた。そう、東日本大震災を思い出したのだ。
あの日ぼくは人生で初めて自分の命の意味を考えたんだと思う。生きるという事の意味をひたすら手探りで探す日々が続いたわけだ。
たくさんの命を奪った自然災害を目の当たりにして呆然と立ち尽くし、自分の無力さと、どこか他人事で収めたいと思ってしまう自分の薄情さに、心がグラグラして生きている心地がしなかった記憶しかない。
自分が何もできない存在かもしれないと思う反面、ぼくなら何か大きな事ができるんじゃないかと思う日もあって。本当わけわからん日々だったなぁと、改めて振り返っても貴重な経験だった。
で、今だ。
ぼくの生きる意味はなんだろう。
大切な誰かがいるわけでもない。
守りたい子供がいるわけでもない。
成し遂げたい目標があるわけでもない。
はて、生きる意味をどこに見出せばいいのだろうか。これは危ないぞ。負のスパイラルにダイソンの掃除機バリに吸引されてしまいそうだ。
なので文章を書くことで気を紛らわせつつ、世界に発散することで、ちょっと誤魔化せるんじゃなかろうかともくろんだわけだ。どうだろう?発散は成功したんだろうか。
…してねーなこりゃ。
生きる意味ってきっと、その時そのタイミングで変わるんだと思う。むしろそうあるべきだと思う。今のぼくには見えないけれど、明日には「ぼくなりの生きる意味」が見出せるかもしれないし10年後かもしれないし。
ハッキリしていることが1つだけある。乃木坂46というグループをもっと早く知っておけば良かったということだ。
早く知っていれば乃木坂がぼくの「生きる意味」になっていたかもしれない。知らんけど。最近の癒しです。(それも結成当初のライブや番組ばかり観て泣き笑いしている)
とはいえ明日も適当に生きていく。ただそれだけだ。
さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!