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2024.12.03 進路を『留学』に決めるまで
前回は、私が、海外なんて微塵も考えていなかったところから、留学する可能性について考えたきっかけについて触れました。今日は、渡米するまでのプロセスを書き出していきます。高校卒業後に留学を検討している方や、ご家族の方の参考になれば幸いです。
アメリカ大学への進路が本格的になるまで
私は、留学することにした高校卒業後まで、1度も飛行機に乗ったことがありませんでした(国内線すら)。父親はたまに出張で海外に行くことがあったものの、母親は海外に行ったことがなく、周りにも外国の人もいなくて、プライベートで海外に触れる機会はゼロ。高校は地元の公立校で、進路のことを本格的に考えなければいけない「文系・理系どっち?」の話題が出た高校1年生の終わり頃は、「数学が嫌いなので私は文系」を選択。高2の後半には、具体的な志望校を考えることがあり、「アメリカの大学に行く」という選択肢が私の中で本格的になってきました。
まず父に反対される
とりあえず親に言う。父親は反対。理由は「治安が悪いから」。父親の出張先はニューヨークが多かったのでそのイメージを持っていてもおかしくはありません。その頃私は反抗期でしたが、それだと話は進まない(お金を出すのは父)ので、まずは本気だということを見せるために英会話学校のアメリカ人の先生から情報収集が必要だなと思いました。
当時の情報収集の仕方は大変だった
当時インターネットはまだ全然一般家庭では普及していなく、その先生が一時帰国した時に買ってきてくれたTIMEの進路特集みたいな号の雑誌を有難く頂き、辞書を引き引きどの大学が良さそうかリサーチに時間を費やす日々でした。まず州を絞り、日本人率、町の規模、大学の生徒数、提供している専攻、滞在方法など色々比較して、大学を絞り、メールで資料請求し郵送で届いた資料(もちろん英語)を調べ、出願資料を調べたり。自分の周りでパソコンを使ってる人(家にパソコンがある人)はほぼいなかったので、使い方を聞くこともできず、タイピングもめっちゃ遅くしかできず、独学で操作慣れするしかありませんでした。ただでさえ時間のかかる英語の情報の収集・理解に、さらにパソコン操作のハードルが高かった…。ネット定額制もなかったので通信するたびにお金がかかりました(ダイヤルアップ、という言葉になじみがあるあなたはアラフォー世代でしょう)。
今と違ってその頃は留学エージェントは怪しい存在でしかなく、「自分で調べられるなら」という条件で留学の許可を親からもらえそうだった私は必死でした。おそらくそれならあきらめるのではと父は考えていたのだと思います。渡米してから気づいたのですが、エージェントを利用してない同じ大学に来た日本人は私くらいでした(笑)
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高校の進路指導
高校で進路を海外にすると言った時は、進路指導の先生に呼び出されました。留学なんて日本の大学に行ってからもいけるだろ、日本の大学にいけと言われ、私は内心「私が日本の大学に進めば、その実績が先生のポイントになるからでしょ」と達観していて、「先生の進路ではなく私の進路です!私が決める道に進んでいきます」と怒りながら伝えたことを覚えてます。いま考えると生意気ですよね(笑) 担任の先生は、英語の先生だったこともあり反対もなく(すごく背中を押してくれたということもないのですが)、無事アメリカの大学、が私の志望進路となりました。いま考えると進路指導の先生は、留学指導のノウハウがなかったんだろうなぁと思います。(かといって否定しないでほしいですが)
TOEFLⓇ受験
私の1年以上の説得&情報シェアの末、私が本気であることが分かった父は最終的には応援してくれるようになりました。
アメリカの大学受験は、基本的に書類審査です。英文成績証明書、テーマが決まっているものに関し書くエッセイなどを用意しつつ、TOEFL受験も経験しました。1回目は473(PBT)くらいだったかな…。2回目も500点には届かず、4年制大学では大体550(PBT)が必要なのでダメかな、と思ったのですがいくつかの学校から条件付き入学許可※が出ました。1回目と2回目は2ヶ月くらいしか空いてなかったのでちょっとしか点が伸びなかったのですが、TOEFLはすぐにスコアアップするようなテストではないのだと実感。高校生の私にはすごく難しかったです。
※条件付き入学とは、入学してからも留学生用の英語の授業を受け英語力がついたら大学の授業を取れるようになりますという条件で、入学許可が出る(=合格)ということ。
高校卒業時にはまだ決まっていない私の進学先
私の高校は進学校だったので基本的にほぼ全員大学に進学という進路をとっていました。卒業までは大体みんな合否が出ていて進路が(予備校という選択肢も含め)決まっている中、私は、卒業時自分の進学先が決まっていませんでした。それまでも、みんなと同じトラックに乗れず一人別の道を歩んでいたので友達に相談相手もいなくて、心細い思いに何度もなりましたが、進学先が決まってないのが一番不安でした。
ただ、これは仕方のないことでした。アメリカの大学のアカデミックイヤー(学年のような区切り)は9月~5月が一般的。9月入学の合否は、4~5月頃まで出ないのです。皆に自分の進路を伝えられないまま「またね!」とお別れをし、その後私からわざわざ「●●大学に行くことになったよ」と告げる機会もなく。まぁどちらにしても超有名大学以外日本では知られていないので、学校名言われても「??」となっていたに違いないので、良いのですが。
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秋を待たずに夏から渡米することに
条件付き入学の私は、夏に始まる留学生用のサマープログラムから参加をすることになり、渡米時期が7月に早まりました。英語力が足りていない留学生向けの集中英語プログラムです。半日は授業、半日はアクティビティの構成になっていたので、参加者同士交流ができるのも大きな狙いとなっていました。周りの友達はすでに大学生。私は遅ればせながら、新しい道に進むのです。初飛行機(どころか初空港)が、初留学になるとは・・・。いま考えると勇気ある行動ですよね ←自分で言うw
長くなってきたので、渡米してからの話はまた別の機会に書こうと思います。長文のお付き合いありがとうございました。