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上海で主婦になる#11
私は東京で助産師として5年間働いたあと、結婚して上海にやってきました。
そして私は上海で主婦になりました。
上海への引越しは大変でした。
単に全てを持って引っ越すわけではなく、日本に置いていくものはトランクルーム、観葉植物などは実家に送る、使わない家具や家電は処分したり、リサイクルや友人に譲ったりと手続きが細かく分かれていました。
私の失業保険の手続きは海外赴任による延長手続をしました。失業保険はやむを得ない理由、妊娠や病気、海外帯同などによって4年間延長できるみたいです。
マイナンバーカードは海外転居とともに返納されてしまいます。銀行やクレジットカード、保険など、何かあった時の連絡先住所を全て実家に変える手続きをしました。
健康保険は、夫の扶養に入らせてもらい第3号被保険者となりました。私の保険証は黄色から青色に変わりました。保険証は海外帯同中の一時帰国でもそのまま使えると知って、日本の医療制度に感謝しました。
目まぐるしい手続きにより途中口癖が「ハゲそう」になりながらもなんとか乗り越えました。
渡航前に一通りの予防接種も打ちました。
妊娠の可能性も考えて夫とともに風疹ワクチンも打ちました。
日本でできる健康診断を受けておこうと歯科、眼科、産婦人科などを受けました。
こうして上海渡航準備をしていきました。
こんなに準備したものの、私は上海に行く前の羽田空港で日本に帰りたくなりました。
出国審査を終えてもう日本に戻れない、上海に行くしか選択肢のない出発ロビーで日本にいるのに帰りたい症候群になりました。それでも搭乗時刻は近づき、意を決して飛行機へ乗り込みました。
無事に上海に着いてからまずは1週間ホテル生活をしながら住む家を探しました。日本人の多い落ち着いた雰囲気の家を見つけることができました。
そして在留許可の申請、健康診断の受診、銀行口座の開設、スマホのSIMカードの契約など諸々の手続きをしていきました。
最初私は、中国のご飯を食べることに抵抗があったので、ホテルの朝食でパンやフルーツなど安心して食べられそうなものをできるだけたくさん食べていました。上海に来て1週間の間は、ホテルの朝ごはんが唯一安心できる私の栄養摂取場所でした。
無事に家を借りて入居することができました。掃除はしてあると言われた家も、埃いっぱいの家を夫婦2人で綺麗にしていきました。
箒で埃を掃いて、雑巾で床も壁も棚も全て拭いていきました。
そして、食材の買い出しです。最初家の近くにあったパン屋さんによく行っていました。
私はまるで魔女宅のキキになった気分でした。
上海ではほとんど家具家電付きの家なので、ほとんど買い足すものはありませんでした。
唯一は寝具のマットレスのカバー、布団、枕などは現地で買いました。
この制度は駐在者にとってとても便利です。
上海はほぼキャッシュレスで、AlipayかWechatpayで支払うのですが、最初は上手く作動せずに大変でした。
中国の銀行口座を開設してお金を入れるまでは日本のクレジットカードから引き落とされるため、使えるお店と使える上限がありました。
外国人にもう少し優しくしてほしいと思いました。
私たちは不動産の人や会社の人に助けてもらいながら、なんとか少しずつ生活をすることができてきました。
日本食スーパーを教えてもらい、日本のものが輸入されていて、少々お値段は高いですが、とても安心しました。
納豆は3パックで約400円、醤油も約600円しました。今ではもっと安い中国で作られた醤油を使っていますが、当時はまずは輸入品からと信用できるものから手に取りました。
私のルーティンは、毎日朝起きて家全体をクイックルワイパーで掃除します。そして洗濯。そして買い出しに行く。
近くのスーパーで、安全に食べられるお肉なのか、これはなんの野菜なのか、日本にいる時以上に表示を読んで解読して、よし今日はこの食材でこれを作ってみよう、と毎日が手探りの中で料理をしていきました。
こうして私の主婦生活が上海で始まったのです。