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社会にガン飛ばす#3

小学5年生の時、家族の中で大きな変化がありました。それは、父の失業です。
エンジニアとして働いていた父が不景気の波にのまれてリストラにあったのです。

ある日の夕食時、父から失業したと聞かされた時はあまり理解はできていませんでしたが、とんでもないことが起こったのかもしれないと胸がざわざわしていたのを覚えています。

当時父が働いて、母は専業主婦、私は小学5年生で、妹は小学1年生でした。

父は3ヶ月以内には新しい職場を探して再就職すると言っていましたが、そう現実は甘くありませんでした。毎日のようにハローワークへ行っていましたが、40代後半の再就職は困難でした。

母も働きに出ることになりました。母は日中の仕事が終わると、帰ってきて私たちの夜ごはんを作って、夜間も飲食店の皿洗いなどのアルバイトをしていました。土日も単発のアルバイトを入れたりして働き詰めの日々になりました。

そしてなかなか仕事が決まらない父親と毎日のように喧嘩する母親。
それを部屋に閉じこもって聞こえないフリをする娘2人という居心地の悪い家になりました。

当時父も母もとても苦しかったと思います。父は何度も面接を受けては落ちて仕事が決まらない。そのため母が働かないと子ども2人を育てることができない。責任感の強く愛情深い母は私たちにいい教育を受けて、大学に行き、しっかりと働いていけるように育てることに必死でした。

「ちゃんと長く働けるところに就職しなさい」、と母は事あるごとに私たちに言いました。そして家事もこなし、料理も作って、そして夫の仕事の心配をして、想像しただけでも大変な日々であったことと思います。

私はそんな母の背中を見て、必死で私には何ができるのかを考えました。
それは私が母の期待に応えられるようにいい成績を出し続けること、妹を守ること、家の中で調整役になることでした。

テストで成績がいいと母は喜んでくれて機嫌がよくなります。私は辛い日々の中の母の希望になりたかったのです。私は父からも母からも勉強しろと言われたことはありません。もともと勉強は好きで、新しい知識を知ることができるのは純粋に楽しかったのです。ずっと進んで勉強して本を読んでいました。父はあまり教育に口出ししてこないタイプで、母が娘たちの教育を見守ってくれていました。母に勉強している姿を見てもらい成績を出して喜ばれることは、私も嬉しかったのです。

また、私よりも小さい妹のことを守ってあげないといけないと思いました。それは妹にとって家が心の安全地帯でなくなったこと、あんなに明るかった妹がだんだん暗くなっていくのを感じたからです。当時10歳の私よりも6歳の妹の方が辛いと思ったのです。どう守るかは、具体的にあまり考えられませんでしたが、妹のことをちゃんと見守ってあげたいと思ったのです。

そして私がするべきことは家族の中の調整役になることでした。母がイライラしているなら逆撫でしないようにする、母の喜ぶことをする、父が母に対して感情的になっているならなんとか話を逸らす、妹が部屋に閉じこもっているなら部屋に入って話す、そんなことをしました。果たしてそれが正しい行動であったかは分かりませんが、私は何とか居心地の悪い家を改善したいと思って行動していました。

父は期間限定の数ヶ月単位の仕事をしたり、就職しては辞めたりと、不安定な仕事をしていました。

不安定な仕事ということは不安定な収入であり、母も常に毎月の収支を気にしてピリピリする生活が続きました。

そして私の高校受験の年になりました。
父にも母にも、私立に絶対に行かせられないから公立に合格しないほしい、そうじゃないと働いてもらうかも、と言われました。その一言によって私は文字通り死に物狂いで勉強しました。
もちろん公立の高校に合格するため、いい高校に入るという母の希望をなくさないため、そして家族のために私は勉強しました。母はそんな厳しい家計の中、1年間学習塾に通わせてくれました。中学三年生の頃は学校が終わって、21時まで塾に通って、深夜2時まで勉強して、6時起きて復習して学校へ行く。そんな生活をして、私は公立進学校に合格しました。

この時の私はある決意をしたのを覚えています。『僕は勉強ができない』という小説を読んだ時だったかと思います。

「父の仕事が不安定で家が貧しいからといって、心は豊かに生きるんだ」

「未来のチャンスは自分で掴み取ってやる」

父の失業が原因で何かを諦めたくない、自分で切り開いてやるんだ、ということを心に強く刻みました。
それは父に仕事を与えてくれない理不尽な社会に対しての反抗心でもありました。

小学生5年生から、家族を取り巻く環境が変わり、成長するとともに私は社会に対して怒りの感情を抱くようになったのです。
いつか見返してやる、今に見てろよと思っていました。

無事に合格した、私の高校入学の写真は全然笑顔ではなく、目に怒りが宿ったガンを飛ばした真顔の写真です。

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