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日曜日の足掻き

まだ日曜日を終わらせたくなくて、地元の映画館に夜駆け込む。寂れた商店街の中にある小さな劇場の客足は疎らで、シアター内は2.3人ほどしかいなかった。自由席。赤く硬いシート。

流れてきたのは、殺し屋たちのラブストーリー。ネオンが退廃的に輝いていて綺麗だった。湿気と熱に溢れた部屋。ビデオ。雨。ハイネケン。夜のトンネル。

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外はジメジメとして纏わり付くような空気が漂っていて、朝のニュースで「今年もあと半年です」と言っていたアナウンサーの言葉をなんとなく思い出す。夏がもう始まっている。

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ちょうど劇場から出たあたりで着信がある。「いま、少し話せる?」最初から通話できるか聞いてくるのは、私の知り合いの中では一人しかいなくて、「いいですよ」と返事をする。時計は21時を少しすぎたところだったので、終わるのは23時頃かな、とぼんやりと思う。彼のいう少しは少しではないことを私は知っている。

「世界線を間違えたのだと思う」と、彼は神妙な声で言った。曰く、こうなる予定ではなかったと。「そうですね」「そう思うでしょ?」「はい」私も可能な限り神妙な声で応える。彼は選択を間違えてしまって、今とても辛いらしいのだ。「そろそろ終わらせてもいいかなと思ってて」「何をですか?」「人生を」 2時間を超えてきた通話のことかと思っていたので少し残念な気持ちになる。「27歳はとうに超えているので、タイミング的にはよくないですね」と言うと「そういうところ」と言われる。「今電話を切って人生を終わらせると、通話記録の最後が私になってしまうので、嫌ですね」「それもそれで面白くない?」「確かになかなかない体験ですね」

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才能がある人だと思う。『周りがみんな凡人に見える』そんなことを言ってしまえるくらい。けれど同時に社会に迎合できない人だとも思う。『俺が芥川賞を取ったら』そう言ってしまうくらい。つまりとても生きづらいのだ。

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「まだここでは終われないという気持ちが、ここは間違っている世界だという感覚がずっとある」と彼は言う。でもこの気持ちはみんな抱えている気持ちだとも私は思う。人生が起伏を簡単に見せてくれない。ただ刺激が少ないというだけで、特に何も不自由なことなんてないし、仕事に不満もない。ただなんとなく「何か」が不足しているというだけなので、贅沢者だと思う。どんどん欲深くなる。

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「俺には書くことしかできないから」そう彼は言った。私もそう思ったことがある。高校生の時に、小説家になりたいと思ったことがある。けれど時間とか余裕とかそんな取るに足らないもののせいで、全てを投げ出していいと思えるほどに自分の中心にあったものが、少しずつ変わっていった。そのことを思い出した。まだ間に合うかもしれないと、なぜかその瞬間強く思った。


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「私が先に、世界線変えちゃうかもです」「え?」必死に夢を叶えようとしている人に対しての羨望かもしれない。建設性のカケラもない、侮蔑にも聞こえるような発言かもしれない。けれど何も成し遂げたことのない私が、変わり映えのない世界を少しだけ変えてしまうような終わりを迎えてやろうと思ったのでここに記録しておく。