誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない / 230626 怪物
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ピアノの音がずっと耳に残っている。不規則で震えていてその音を聞くだけで、何か落ち着かない気分になって、立ち止まって普段は見ないふりをしていることを考えなければならないような気持ちになる。
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映画は三つの視点から描かれ、やがて一つの真実に収束する。
対岸の火事であったはずの出来事が、他人事ではなくなっていく。
視点が変わるたび、全く異なる真実が浮かび上がってくる。
「怪物だーれだ」、映画で何度も繰り返される言葉自体がきっとミスリードで、私たちは無意識のうちに、彼らの中には悪者がいるのだと犯人捜しをしてしまうけれど、誰かのためについた優しい嘘が、都合のいいように歪められていたことが映画の進行とともに明かされる。
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この映画を見て「私は親に愛されていないから」と言っていた子のことを思い出した。その時の私は彼女になんと答えたのだろうか。「こどものことを愛していない親なんていない」そんな言葉が陳腐に感じてしまうほどに凄惨な出来事が連日報道されている。社会が、政府が悪くなったからというわけではなくて、きっとこれまで目を背けて生きた、日の当たらなかったものが浮き彫りになってきたような気がする。
『そして父になる』『海街diary』『万引き家族』『ベイビー・ブローカー』
是枝作品を観るたびに、私たちは問いかけられる。「普通って何?」
結婚して、子供を持って、家庭を築く。
「普通」という社会が引いてしまったラインを超えることの恐ろしさ。
大人になった私たちはただ血がつながっているというだけで、家族にはなれないことを知っている。歳をとるにしたがって、そのことに気が付いてしまった。歪で多くの人が顔を背けてしまうような儚い繋がりにしか縋れない人もいる。下町の張りぼてのような小さな家で誰かが捨てたものを拾い集めて生きた「家族」がいる。共有してきた時間が環境が彼らを「家族」にしていく。彼らの行いを肯定するわけではないけれど、そうすることでしか生きられなかった彼らを誰が否定できるのだろう。
ただ純粋に好きな人といることができないことがある。それが許されないことがある。そこから逃げられないことが、どこにも行けないことがある。花言葉に隠された想いを、笑顔の裏に隠された傷を、トロンボーンに吹き込まれた叫びにも聞こえる音色を、それらを知ってなお、私は大丈夫だと、正しいのだと、言い切れる人はどれだけいるのだろう。
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二人で共有したスニーカー、スナック菓子、食パン。星や惑星で飾り付けられた秘密基地。どこにも行けない列車。
湊と依里は知っている。彼らを取り囲む世界では、彼らは幸せに離れないということを。本来こどもを保護するための親や家族や学校や社会が、彼らの足枷になっている現実。廃電車の中でしか、二人はありのままの姿をさらせない。「いなくならないで」って言えない。どれだけ傷ついていても、何もなかったかのようにふるまうことしかできない。
嵐を抜けた列車がたどり着いた先に連れて行った世界は、トンネルを抜けた先には、社会が求める「普通」に縛られない、彼らがありのままの姿で、一緒にいられるような世界が待っているのだと願わずにはいられない。